Quantcast
Channel: mitakeつれづれなる抄
Viewing all 810 articles
Browse latest View live

2015年末にあたって

$
0
0
 弊ブログmitakeつれづれなる抄をご覧の皆様、本年も有難う御座います。今年は、一昨年の脳出血後遺障害がまだまだ続いており、遠出が難しく、ブログ記事も趣旨に謳っている「出かけた先で気になること」が少なく、新聞記事からブログソースをもとめたりすることが多かったです。
 このブログは、元々がOCNのサービスで始めたものですが、昨年にOCNでのサービス終了で、OCNからの推奨でgooブログに移転しました。
 しかし移転作業は済ませたものの、従来のブログにありました、ご近所ブログのリンクと、カウンターの設置が結局できず仕舞でした。
 gooの仕様がよく分からない、という言い訳もありますが。

 そんなこんなで、2015年も日が暮れました。あと数時間で日付が替りますが、ここでこの一年のブログご愛顧のお礼と、来る年の皆様のご健康・ご多幸を祈念申し上げます。

 今日は夕方に、原子番号113の元素に、日本の理研が命名権を得たというニュースがありましたが、物理は得意ですが、化学は今一つですので、原子番号113の正体が分かるまでブログ記事はお預けです。

 昨年の大晦日の記事を見たら、開田高原ライブカメラの画像がありましたので、昨日に引き続き今日も張ってみます。


 雪が無いですね。
 皆さま、良いお年をお迎えください。

2016年新年のご挨拶

$
0
0


 新年おめでとうございます。
 昨年は大きなことも無く、個人的なことではインターネット回線が変更になり、その手続きや工事ななどで少々大変なことがありましたが、切り替え時は別にしてネットは続けられ、このブログも更新お休みする期間も無く(怠けで休んだことはありましたが)続けられました。
 PC環境としては、無事にwindows10に更新できたものの、どうも使いづらい点が無いでもないです。
 昨年同様、だんだん愚痴っぽくなってきました。

 2008年にこのブログを始め今年で8年。つまり9年目に入ります。

 一昨年はその前年から続いた体調不良の挙句、脳出血を起こし、今もその後遺障害が残っていまして、「そして出かけた先で気になることを書き綴った」の出かけることも難しくなっておりますが、出かけられるところは出かけていろいろブログ更新に寄与したいと考えております。

 画像は、今年の年賀状です。
 住所等はブログ掲載用に編集したものです。
 例年神戸線の画像を用いていましたが、ネタ切れで、以前に撮影した京都線の画像からです。
 弊ブログでも記事にして、Q&Aサイトにも紹介された、新幹線と並走する京都線上牧駅です。
 来年は、本当にネタ切れだなぁ。

 皆様、よいお正月をお過ごし下さい。
 本年もよろしくお願い申し上げます。

誤用が目立ち変化の過程なのか今年の正月

$
0
0
 日本語に限らず、言葉は変化するもので、かつては誤用とされたものが現代では正しいモノとなりつつあるものです。

 今年の年末年始、いや「年末」というのはおかしいかな、なので「今期の年末年始」、予てから気になる誤用がとても多く目立ちました。
 以前にも書き、昨年末にはAmebaのブログの方でも11月4日に「日本語の誤用が目立つ季節 」と題して書きました。

 そこで書いたのは、1月1日の「元日」のことを「元旦」と表現(文字にしても発声する言葉でも)大変多いということです。
 それがこの年末年始は大変多く、元日のことを元旦とするのを見聞きしました。
 大変気になります。
 中には個人ではなく、公の立場である企業のお知らせでも「当店は元旦から営業とします」とか、渋谷が本社の受信料を徴収する全国放送局のラジオでも、出入りのタレントさんですが「元旦には・・・云々」という言葉を耳にしました。

 ここで整理しますと、「元日」とは1月1日のことで、「元旦」とはその1月1日の朝のことです。
 なので、年賀状の記述に、何年1月元旦とするのは誤りです。

 これだけ誤りがはびこると、やがて1月1日のことを普通に元旦と言うようになるのではないか、とさえ思ったりします。
 かつて誤用とされた言葉が、多くの人に言い継がれることによって、それが正しい表記になったりしたものがあります。

 こういう例で必ず出すのがnewの意味で、「新しい」。
 今では「あたら_しい」と言いますが、かつては「あらた_しい」でした。
 これが昔、前衛的な間違いで「あらたしい」を「あたらしい」という人が現れ、やがてそれが多くの人に、つまり集団的誤用となり、今では「あらたしい」となりました。
 「新」の漢字には「あたら」との読みは無く「あらた」です。
 それを考えると元来は「あらたしい」が正しいのなだ、と思えます。
 新しいは「あらたしい」が元々の読み、今では「あたらしい」が新しい読みです。

 で、元日と元旦。
 時代が経るにつれ、言葉の意味も変わります。
 こうも1月1日を元旦と言うようになれば、そのうちに辞書にも載るのではないかと思います。
 【元旦】1月1日のこと。かつては元日と言った。一年のもといとなる日で、元日。この元日の日の出の時間帯を元旦であったが、現代では、1月1日のことを差すようになった。
 こうなってしまうような気がします。
 ちょうどその過程を見ているのかもしれません。

初詣の渋滞がなんとかなった名鉄バス光明寺線

$
0
0
 自宅近くを通る名鉄バス光明寺線。その経路は宮西通を通り、「宮西」の名の通り、一宮の語源となった真清田神社の西側を通りまして、お正月など多くの参詣客が訪れる時期は、駐車場待ちの自動車の行列が宮西通まで伸びて、ここを通る光明寺線は大変な遅れが出ます。

停留所に掲示される、渋滞遅延のお断り。


 そこでこのブログでは利用者の一人として、大きなボヤキがてら、自動車で初詣に来るその行為を批判しつつ、渋滞の実態を書いてみました。

 2012年1月7日「初詣の渋滞ナンとかならないか
 2013年1月3日「初詣の渋滞ナンとかならないか・2013年版
 2015年1月4日「初詣の渋滞・深刻
 と、2014年はなぜ書かなかったのだろう。乗った記憶ですが。

 今年の正月もさぞ大きな渋滞が予想されました。
 お正月に乗ったのは、2日と昨日3日。2日は、名鉄一宮駅停留所に11:22に到着の便。昨日3日は14:22に到着の便です。
 乗車便を隠しても、関係の向きには影響が無いだろうと、今年は公表します。

 で、渋滞による遅延は。。。
 2日は午前の便であったからだかもしれませんが、一宮駅到着で僅か15分の遅れ。
 昨日3日は、大きな遅延が予想されましたが、途中からガードマン氏の誘導で、反対車線に入り、最終的に28分程度の遅れで済みました。

 昨年の図の使いまわしです。


 昨日3日の状況は、渋滞の最後部が上の図の宮西小学校停留所よりも市内よりであったことが幸いし、宮西小学校停留所は定刻の時刻に通過し、図のAの交差点は一回の青信号で進むことが出来ました。
 バスの車体、一馬身ほど入ったところで、渋滞。
 発進停止の歩行速度よりも遅い渋滞が続き、大宮二丁目停留所は定刻より26分遅れの14:41に到達。
 その先のBの交差点で、東からの駐車場待ち行列が、東西方向の青信号で進入しますので、車体の長いバスはなかなか入れず、それでも駐車場待ちは案外早く途切れ、五回目の青信号で進入。
 そのままの渋滞で最初の辻で、ガードマン氏の合図で反対車線に入り、スポーツ文化センター停留所は定刻より29分遅れの14:45に通過。

 このガードマン氏の誘導は2日の午前もありました。

 元日も自宅で、バスロケーションシステムの表示を見ておりましたが、最大でも30分程度の遅れで、法律的(道路交通法)にはどうかと思いますが、ガードマン氏の誘導のお蔭で、60分遅れだとか75分遅れという極端な遅れは無くなりました。
 二日は一時間遅れを覚悟して一便早い(即ち一時間早い)バスに乗りましたが、目的に早く着きすぎてしまいました。

 真清田神社の初詣渋滞による名鉄バス光明寺線の大幅遅延は、幾分解消されたことになります。

お役所な名古屋市

$
0
0
 お正月ですが、少々毒を吐かせてください。
 「お役所な名古屋市」とは妙なタイトルですが、官庁としての名古屋市のこと。
 1月2日は東山動植物園で恒例の尾張万歳を観に、その後はロウバイも咲き始めているだろうと植物園内散策の予定でした。
  也有園のソシンロウバイは少し咲き始めでした。

 奥の方のビオトープ近くにロウバイなど春の花が咲くエリアがありますので、そこへ向かうと、あらら途中で工事バリケード。
 なんじゃこれ!


 園路補修だそうです。


 しかし3月までの工事期間では、ロウバイは花が咲いて散ってしまうではないか。

 この道はこの先いけないので、山側の道を選んでみました。うわぁ、こちらも通行止め。同じエリアが工事のようです。
 そこで思い出しました。この東山植物園、以前にもこの春先に、東山再生プランとかで園路を完全に通行止めにしたことがあります。
 しかも今回と同じエリア。


 時期的に年度末。そう道路工事と同じ年度末工事の集中時期。

 このバリケードがある道は、そんな補修が必要な箇所はありません。しからば、エリア全体を閉鎖したのか?
 園路補修はまぁ分かりますが、それまらそれで、通行を確保しつつ、幅員の半分づつの施工ができないものか。
 工事の側からすれば、全幅員で工事を行った方が楽です。
 しかし、道路は工事をするためにあるものではない。
 人の通行のためにあるもの。
 ならば、通行の目的を確保するために、幅員の半分づつの施工をするのが人ってものだろう。

 そこが分からず、工事という大義名分で、全幅員の工事で、通行止め。

 ちなみに、現在はお花畑へのエリアは階段を登るか、思いっきり南の方からの回り道です。

 今年の春(桜の前の花)は、全く愉しめない東山植物園になってしまいました。

 やっぱり東山植物園は、名古屋市の体質です。
 すみません、今日は毒を吐かせて頂く記事でした。

青春18きっぷで北海道新幹線の青函区間内に乗車可能へ

$
0
0
 乗りものニュースにありましたが、今年3月の北海道新幹線開業、在来線の海峡線旅客列車廃止で、青春18きっぷでオプション券購入で、一部区間に乗車可能になるとのことです。
 青函区間の旅客列車廃止で、青春18きっぷの扱いがどうなるのか、一部では気になっておりました。
記事:「青春18きっぷ初、新幹線も一部利用可に オプション券購入で

 私、この記事を読み、青函区間内の新幹線乗車可能になる、というおより、今の発売額が18500円なのですね。体調を崩す前の2012年春季が最後の利用で、その時点では11500円でした。
 事実上の尾張一宮~神戸間、途中下車可能な回数券のような使い方をしておりましたが、もうすっかり使うことが無くなってしまいました。

 で、青春18きっぷは、ご存じの通り、普通列車の普通車のみ乗車可能なもので、急行列車(特別急行列車も)やグリーン車にはそれぞれの料金券を購入しても乗車はできないものです。
 ただ例外的に、普通列車のグリーン車、北海道の一部区間で普通列車が運転されていない区間に限り乗車ができます。
 この例外区間に、青函区間の蟹田駅~木古内駅が含まれています。
 これを引き継ぐような形で、北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅~木古内駅、さらに、江差線が廃止となり、道南いさりび鉄道の木古内~五稜郭間に、それぞれ乗れる、ということだそうです。
 道南いさりび鉄道への乗車は、現在の旧JR線廃止転換路線と同じく、途中駅の乗降はできず、乗り通すだけになります。

 青函区間内は、この区間の快速列車が廃止され、青春18きっぷで北海道へ渡るのがとても難しくなりました。尤も東北本線の盛岡~青森間が廃止、三セクタに転換され、そもそも青森までが行けなくなりました。
 青函トンネル開通前は、青函船舶航路が、青函区間内のルートで、青函船舶航路は普通列車の扱いなので、当然青春18きっぷで乗れました。しかしこの場合も乗船可能なのは普通船室でグリーン船室には乗船できなかったと思います。

 ともかく青春18きっぷでオプション券が必要ながら、青函区間に乗れるようになります。
 テレビ等、放送番組では、新幹線というと開業のお祝いムード一杯なのですが、あくまで「新幹線は対東京との交通が便利になるだけ、地域ローカル輸送では不便になる」ということを伝えておらず、とても不愉快です。

現在の京都と平安京時代の京都のオーバーレイマップ公開

$
0
0
 京都新聞web版からです。現在の京都市のある場所が、平安京の当時ではどこだったのかが分かるオーバーレイマップが公開されたとのことです。
記事:「平安京ウェブ版マップ公開 今の京都と比べてみて

 早速、使ってみました。面白いです。南区の九条通近くにある羅城門から北へまっすぐ伸びる朱雀大路、幅は大変広く雄に100mはあろうかという大路。名古屋の久屋大通が、公称100mの幅ですが、実際には中央の約70mは公園ですので、あの幅全てが「道」という正真正銘の大路。途中には、今の梅小路機関区の扇形庫がすっぽりと入り、今の二条駅から少し北の所で大極殿の朱雀門。

 こうした昔の京都の様子を示す、オーバーレイマップは、昭和7年ごろの地図を現代の地図と重ね合わせて見られるオーバーレイマップがあり、今の京都市に残る古い建造物が、昔は何だったのかがよく分かります。

 地図好き、歴史好きとして、こうしたオーバーレイマップはとても有力なツールです。

 平安京オーバーレイマップはこちら。平安京オーバーレイマップ
 昭和7年頃のオーバーレイマップはこちら。京都市明細図オーバーレイマップ

 試してみてください。面白いですよ。

名鉄と近鉄の名古屋駅・将来は改札を共通に

$
0
0
 1月6日中日新聞朝刊記事からです。2027年のリニア中央新幹線開業に合わせた名古屋駅再開発計画で、近鉄と名鉄の名古屋駅改札を共通にすることを検討しているそうです。


 名古屋駅は略称「名駅」で、ややこしい構造から名駅をもじって「迷駅」と揶揄されています。名古屋市の将来計画にもこの名古屋駅の迷駅ぶりを直そう、という映像があります。

 改札口の共通化で最大の問題は、現代になって表れたことですが、改札機器の導入により、乗車券の改札が機械的に行われるようになり、その対策。記事では弥冨駅と桑名駅で導入されている、とあります。もう一つ豊橋駅もそうではないのかな。

 かつては地元尾張一宮駅と新一宮駅が共同駅で改札も共通でした。高架化で駅も改札も別々になりましたが、当時は人による改札でしたので、何にでも対応できました。

 記事の地図によれば、新たな改札口設置とJR名古屋駅の通路新設で、名鉄と近鉄からおあなみ線への乗り換えが多少は近くなりそうです。現在は名鉄と近鉄からあおなみ線へは、本当に遠いですからね。JRの名古屋駅の中央コンコースを通ると、実質地下鉄一駅分歩きそうです。

 しかし名鉄と近鉄の改札共通化は分かりました。駅函体自体がどうなるのかの将来像がまだ見えてきません。名鉄は名鉄百貨店から南の名鉄の建物を建て替えることを発表しておりますが、駅をどうするのか何も発表がありません。中部空港行きのホームを新設するとか、断片的なものは出ていますが、駅がどうなるのかが、何も示されていません。

 あまりにも大掛かりで、工事方法などを含み、決定できないのかと思いますが、早く知りたいところです。その上での改札共通化だと思います。

マサに我田引鉄の様相・北陸新幹線舞鶴ルートに大阪府知事が異論

$
0
0
 京都新聞web版記事からです。北陸新幹線の敦賀以西で、このほど出された舞鶴ルートに大阪府知事が異論を唱えたそうです。

記事:「京都・舞鶴ルート言及を大阪知事が批判 北陸新幹線

 もはや、我田引鉄ですね。我田引鉄とは、諺の我田引水の意味の通り、鉄道建設時期に政治家が自身の地盤に路線を引っ張て来させて、結果的に不自然な線形を為すものを、揶揄した言葉で、我田引水の「水」を「鉄」に置き換えたものです。
 Twitterでも北陸新幹線の敦賀以西ルートは、経済的、建設的な効果を考えもせず、「僕らが考えたしんかせんルート」というような、友達・居酒屋レベルでの談義で進められているのが残念、というツイート(意見)がありました。

 全くその通りで、北陸新幹線の舞鶴ルートは、多少は、京都府北部に有効ですが、線形はかなり曲げられます。
 そこを大阪府知事が突いてきたわけで、大阪府にしてみれば、敦賀からは真っ直ぐ大阪のどこかへ来てほしいわけで、我田引鉄です。
 大阪府知事、先ごろ大阪W選挙で当選されたあの方です。

 敦賀以西ルートは、何処をどう通ってもそれぞれの立場で、異論が出そうです。
 一部では軌間変換装置を取り付けたフリーゲージトレインで、在来線との直通で大阪駅直通にしたらいい、という意見もありますが、専用車両を用意せねばならず、走行装置という最重要部品で軌間変換という些か不安な構造で、しかも車体の規格は在来線並になりますので、フリーゲージトレインは適切ではないと考えます。

オリンピックエンブレム選考に国民投票は必要無い

$
0
0
 昨日のYahoo!トピックにあった情報からです。すったもんだの2020年東京オリンピックのエンブレム再応募をかけて、最終選考に残ったのが4作品。これを1作品に絞り込むのに国民投票は行わない、ということだそうです。
記事:「新エンブレム、最終候補は4作品=「国民投票」行わず―東京五輪

 国民投票は行わない、ということで行われないので、それはそれで分かりますが、逆に考えれば、国民投票を行うかもしれなかった、ということなのですね。
 私が2020年東京オリンピックにはさして関心が無いからかもしれませんが、エンブレムの選考だけで国民投票を行う必要があるとは、到底思えません。
 オリンピックという国際的な国家行事なので、そのシンボルとなる物は国民の手で、という趣旨だったろうと思いますが、それこそ国民投票を行えば、何億と費用がかかります。
 そんな費用があれば、他に使い様があります。
 さしあたって、時間が許すのであれば、今年7月の参議院選挙と同時施行という方法が無いわけではありません。
 それでも、選挙投票を行う各自治体の選挙管理事務は増えることになり、オリンピックのエンブレムを選ぶだけで、ひと手間かけるのは賛同できません。

 結果的に国民投票は行われないので、これで良かったのですが。あとは無事すったもんだが無いように、エンブレムを選考委員会で決定敷いて頂くだけですね。

お休み

$
0
0
 おはようございます。今朝は時間が無く、このままブログ書かずに出かけます。帰宅後に書くつもりです。すみません、一旦お休みです。

車掌は情けを出してはいけないことも・駅に置き去りのニュースで

$
0
0
 今日のブログ記事、今朝は時間が無く、今頃に更新です。
 で昨日の神戸新聞web版記事からです。大阪市住吉区のJR西日本阪和線杉本町駅で、普通電車の車掌がドア閉め-出発合図の後、不用意にホームへ出たため、車掌をホームに置き去りのまま発車してしまう事象があったそうです。
記事:JR西車掌、駅に置き去り ふらつく人救護しようと

 つまり、10日の朝、天王寺発日野根行き普通列車(電車6両)、客扱い(乗降)が終了し、ドアを閉め、ブザーで出発合図を出した後、ホームでふらつきながら電車に近づく人がいたため、救護しようと乗務員室から離れたところ、そのまま発車してしまい、車掌はホームに置き去り。
 次の浅香駅でドアが開かないため、運転士は車掌が乗っていないことに気付く。
 車掌は後続の電車に乗り追いかけて、浅香駅で本来の列車に戻った。
 --ということです。

 問題点と不思議な点がひとつづつ。

 まず問題点。車掌が乗務員室から離れたのは、ふらつく人を救護しようとしたものです。
 動こうとする列車に近づいた、ということから、触車事故、危険回避の為に出て行ったのかもしれません。
 しかし、出発合図を出した後です。
 出発合図とは、駅長(運転扱いの当務駅長)から列車に対して、停車場から発車しなさい、という合図です。
 駅長がいないなどの場合は、列車車掌が行います。
 出発合図を出すには、列車の発車要件を全て満たしていることを確認し、発車せねばなりません。
 発車要件とは、必要な係員が全員乗り込んでいることも含みます。
 出発合図を出してからは、不用意に列車から離れてはいけません。
 それでも可及的すみやかに離れる必要性もあります(今回のように)。
 その場合は、ブザー連打で緊急に列車を止める合図を出して、それからです。
 ブザー連打で、列車停止後に乗務員間電話で状況を説明の後、現場に赴くことになります。

 今回は、列車にふらついて近づいたことからの出来事でした。
 過去にJR西日本に乗っていて、こんなことがありました。
 JR琵琶湖線の新快速で、近江八幡駅かその近辺の駅。ドア閉め→ブザー合図で、列車起動、その起動の瞬間に階段を走って下りて来る人がいたことから、ドアが開いてしまいました。車掌がドアを開けたものです。
 車輪の一回転どころか、まだ1mも動いてはいない段階でしたが、ドアが開いたため、列車は非常ブレーキで停止しました。
 ドアが開くと、運転台の知らせ灯が消えます。
 この場合も、一旦出発合図を出したあとは、駆け込んでくる人がいてもドアは開けてはなりません。

 ここで今回の記事の題「車掌は情けを出してはいけない」です。
 ローカル線では、乗り遅れそうな人がいたら、車掌は待ってくれると言いますが、それは発車前です。
 いったん動き始めたら、心を鬼にして安全輸送に心がけねばなりません。ここに人の情はむしろ不要になります。

 ちなみに、列車事故が発生したら、今は防護無線発報で一発で報せることができますが、かつては、隣接線路の列車防護(抑止)が第一の任務でした。
 たとえ、お客さんが怪我していても。
 列車防護のセットを抱えて、走ります走ります。
 その上で、指令に連絡し、負傷者の救護。

 鉄道とはそんな世界です。


 もう一つ、不思議な点。
 昨日の出来事では、車掌を置き去りにした列車は浅香駅で待って、後続列車に置き去りにされた車掌が乗ってきて、本来の列車に戻った、ということですが、浅香駅は待避線が無い棒駅。
 どうやって、二本の列車が並んだのでしょうか。
 つまり後続の列車から、どうやって置き去りにした先行列車に乗り移ったのか?です。
 大きな疑問。当分、頭から離れそうもありません。

これが世代間の差なのか・ハッピーマンデー

$
0
0
 昨日は、成人の日で祝日でした。或る年代以上の方には当たり前すぎることですが、かつては1月15日が成人の日。
これ、昨日のCBCラジオで、平成25年入社のアナウンサーさんが、番組の話題の中で、MCの方の話題で、「成人の日は、以前は1月15日でした」という言葉に対して、何とも不思議そうな声で、「そうなんですか~」というリアクション。

 この感覚が、世代間の差なんですね。「当たり前」というものは、人によって、文化によって、全く違うモノなのですが、同じ民族でありながら、当たり前が違うのは世代間の差でもあります。
 CBCのアナウンサーともあろう方ならば、歴史的な事実としてかつては1月15日であったことをご存じだろうと思いましたが、昨日の放送の中で本当に始めて耳にしたような感じ。
 なので余計にビックリなリアクションでした。
 平成25年入社、ということならば、大学の留年が無ければ、平成2年生まれです。
 成人の日の日付が変わったのは、2000年(平成12年)なので、知っていそうですが、自発的な行動をするようになった時はハッピーマンデー以降なので、こちらが常識感となり当たり前になったのでしょう。

 昨日のこのビックリ・リアクションには私もビックリしました。
 平成2年生まれでこうなんですので、ましてや昨今の小中学生はおろか今年成人式を迎えた人は、我々とは完全に文化の差(時間軸に於いて)があるだろうな。異文化です。

 ちなみに、成人式では、かつては式典会場内で荒れる、というのが、格好のマスコミニュースネタでした。
 昨日は、式典会場の外でなにやらおかしな出来事があったようですが、こういうのを見ると中高年の方は「最近の若い者は・・・」というセリフが出るそうですが、私はそうは思いません。
 中高年にもおかしな人が多く、またいずれ弊ブログで書こうと思いますが、中高年の特に高年と言われる人に何やらおかしな人が・・・。
 つまり人の本質は変わらず、それが代々引き継がれて、それが顕在化しているだけのように考えます。

 そういう点では、世代間で文化の差がある、とは言い切れないような気がします。

芦屋市役所庁舎の市章撤去が免れる

$
0
0
 弊ブログで昨年10月6日に書いた記事「市庁舎に掲げる市章は屋外広告物になるのだろうか」の兵庫県芦屋市庁舎で、
芦屋市が屋外広告物条例施行で、広告物撤去の範を示すために、市庁舎に掲げられている市章を撤去するという話、結局多くの方面から異論・批判が上がり、市庁舎からの市章撤去は止めることになったそうです。
神戸新聞記事から。
記事:「日本一厳しい広告規制条例 芦屋市章撤去は免れた

 妥当な措置ですね。市章も屋外広告物という考えは、突飛な考えですが、広告物の解釈に「そのもののイメージを現す」ものも含まれるそうで、市章は市のシンボルマーク故に広告物なのだそうです。
 それなら市としては、規制をかけ、行政指導する立場から範を示すために率先して、市章を撤去するという、なんとも突飛というかマヌケというか、石頭なことを言いだしたものです。
 お役所というところは、「丁度いい加減」が出来ない所だそうで、市章が屋外広告物-ならば条例に抵触するので撤去、という単純な思考で出てきたものでしょう。
 市のシンボルとして庁舎に掲げるのは、条例とは別、という考えが出来なかったようです。

 さすがにこれは大きな批判で、議会から市長に申し入れを行い、市章撤去の撤回を決めたそうです。
 至極、当たり前のことですね。
 芦屋市議会議員がまともな意見を出したまでです。当たり前が、報道になる、不思議な出来事でした。

国土地理院の地図で外国人向け地図記号が少し変わる

$
0
0
 Yahooのトピックにあったニュースからです。国土地理院は、一部の地図記号に良からぬものを連想させたり分かり難いものがあることから、それらを変更するとのことです。
記事:「「卍」はナチス想起させるので「三重の塔」に 外国人向け地図記号、国土地理院が作成へ

 国土地理院が作成する外国人向け地図は、一般刊行物としては直ぐには思いつかないのですが、特別誂えとして作っているのでしょう。

 「卍」はお寺(寺院)の記号として日本国内では広く普及、そして常識化しています。しかしこれはナチスを思い起こさせるものとして、その方面の人には大変に忌み嫌われます。
そうしたものの幾つかの記号を変える、ということだそうです。お寺は「三重の塔」。決して「みえのとう」ではありません。「さんじゅうのとう」です。
 大きなお寺によくある仏塔ですね。

 記事にある郵便局マークの「〒」は日本では分かるものの、外国人には分からないことから「封筒」をイメージするマーク。この郵便局記号が封筒をイメージする地図記号の国はよくあります。
 地図の読み物としての書物で、「地図記号はところ変われば形も変わる」などといった章で、各国の地図記号を紹介したものがあり、そこで郵便局に封筒をイメージする図形の記号が多いことを知りました。

 「卍」も「〒」もパソコンで出せます。特に「卍」は漢字で、「まんじ」と読み、その通りに入れれば変換できます。
 〒は「ゆうびん」と入れると変換できますが、こちらは漢字ではありません。
 あくまで旧逓信省が定めた逓信マーク。逓信省の「テ」の字が元。なので、日本国内でしか通用しません。

 この地図記号は、外国語版地図で、ということですが、日本語の地図にも影響しやしないかと思います。
 卍も〒も日本人には広く普及していますが、外国人には全く分かりません。
 何でもかんでも「国際化」と称して、地図記号も国際化で、日本語の地図も記号の変更が及ぶのを懸念しています。
 三重の塔があるようなお寺はそう多くなく、普通の家々のに囲まれた中にあるお寺に「三重の塔」記号があると、それはそれでとても不自然です。

 ちなみに、三重の塔ぐらいの高さでは微妙ですが、五重の塔になると、地図記号として「高塔」の記号で表記されます。

商道徳はここまで落ちたのか・ココイチの廃棄商品横流しで

$
0
0
 もうこの地区のみならず、全国ニュースでも多く取り上げられている、ココイチ(COCO壱)カレーのトッピングで、カツに異物混入疑いがあったことで、廃棄業者に渡した物が、何故か一般市場に流通してた、というニュース。
中日新聞記事にもありましたが、スキャナ-編集作業が大変(少々面倒・・・)で、産経west記事からです。
記事:「ココイチの異物混入カツ横流し問題、すでにスーパーで5400枚販売 産廃業者を家宅捜索へ

 つまり、壱番屋が昨年9月に製造した「ビーフカツ」に製造の際のプラスチック部品が破損していたのが発見され、製品に混入した疑いがあることから、この日の製造ラインの製品を全て廃棄することに決め、廃棄品を稲沢市の業者に渡した。
ところが、今月11日に津島市のスーパーで壱番屋のアルバイト従業員が見つけ、本社に連絡し、調査したところ、流通ルートを辿ると、やはり壱番屋の廃棄品が、産業廃棄業者から横流しがあったということです。

 ルートを辿ると、一宮市の壱番屋工場で異物混入で廃棄商品発生→稲沢市の産業廃棄業者→羽島市の食品業者→流通に乗りスーパーの店頭

 要するに、何故、産業廃棄物業者は廃棄すべき品物を廃棄せずに、羽島市の食品業者へ渡されたのか。
 そして、この食品事業者も、産業廃棄物業者から入れた食品を、なぜ流通に乗せたのか。

 このところ、時々食に対する安全性を脅かすニュースがあります。今回もその類ですけど、私が思うのは、羽島市の食品事業者は、産業廃棄物業者から仕入れた食品を流通に乗せることの是非。何も思わなかったのだろうか。
 この羽島市の食品事業者の名前は地元のスーパーでも見かけますが、この先疑いの目で見てしまいます。
 それでなくとも、流通している食品の添加剤について、いろいろあるそうですが。

 商道徳はここまで落ちたのですね。(今更でもないけど)
 それと同時に、COCO壱(壱番屋)の従業員の質の高さと、会社の風通しの良さが見えたニュースでした。
 アルバイト従業員でありながら、自社の製品を見抜く目を持ち、その情報を社に伝え、それが本社まで伝わり調査に動いた。
 壱番屋の創業者さんは、中区の宗次ホールの演奏会当日にお見かけますが、その宗次ホールの方もよく気が付いて動き回って、壱番屋の社の風土がよく分かります。

2025年に大阪万博誘致の話がある

$
0
0
 昨日に引き続き、産経WEST記事からです。松井大阪府知事の2025年大阪万博誘致には、大商会頭は草の根から湧きあがるものが必要なのでは、と時期を見る意見を述べた、ということです。
 ということは、2025年に大阪万博をやろうという話があるのですね。初めて知りました。
記事:松井知事の万博誘致に慎重意見?大商会頭「草の根からわき上がるものが必要」

 大阪万博というと、1970年の人類の進歩と調和を連想します。
 東京オリンピックの6年後、戦後日本の復興で、日本が上り調子の頃でした。

 2025年の大阪万博、どんな世相になっているのか、1970年の頃とは雰囲気も調子も違います。
 大商会頭の草の根からわき上がるものが必要、というのは、とてもよく分かります。
 最近では2005年に愛知県で万博がありました(御存知の通りです)。
 あれは、どちらかと言えば、草の根というより官庁主導の名誉的な存在でしたが、いざ始まってみれば、結構人気が高く、愛知県民の博覧会好きが功を奏した感じです。
 官庁主導で、何やら規制規制が続いたので、私は、一切背を向けて、愛知県の万博には行きませんでした。
 
 2025年の大阪万博も、成熟した社会の中なので、お役人の名誉で開かれるような感じがしないでもないいです。
 そうなると、草の根からわき上がるものは少ないでしょう。

 ただ、2025年大阪万博が開催されることになれば、2045年のリニア中央新幹線大阪延長開業が早まる可能性があります。
 大阪(の財界)では、リニア中央新幹線の早期大阪延長開業を望む声は大変高いです。

 もうひとつただ、仮に開催するとなると、どこでやるのでしょう。千里の丘は、記念公園として整備されています。エキスポランドは近年までありましたが、例の事故で印象がすっかり悪くなり閉鎖され、今はららぽーとができています。
 大阪オリンピックの候補地だった、大阪港埋立地夢州(ゆめしま)もありますが、交通の便もありますし、気象の面でも難がありそう(風が強い)ですし、既に土地が利用され始めています。

21年目の1.17

$
0
0
 今日は、1月17日。忌まわしい兵庫県南部地震から21年目。
昨年が20年目で、当然ながら「何年目」の数字はどんどん大きくなります。
それだけ人々の印象も風化していくわけですが、私は神戸の街を知っているだけに、忘れることはできません。

 毎年、同じことを書いていますが、1995年1月17日は、神戸へ行く予定をしていました。(青春18も残り一枚ですし・笑)
 しかし前の晩は寝付けず、明け方に何やら若者が騒ぐ声。
何だろうかと思う間もなく、大きな揺れ。
かなり大きな揺れでしたので、憂慮されている南海トラフによる海溝型地震、つまり東海地震かと思いました。
一番揺れていた時で、吊り下げ形の蛍光灯がゆらゆら揺れる程度でしたので、東海地震ではないなと直感。
しかし、ゆさゆさ揺れるのは、近くではなく、遠くの地震だと判断。
 その際の時刻は5時48分。
直ぐにテレビを点け(当時はテレビに情報を頼ってました)たら、NHKでは既に地震速報をやってました。
その際のスタジオ速報からは、自宅と同じ5時48分ごろに地震があったと伝えています。
しかし震源は関西地方。
そしてNHKは大阪局に切り替わり。
震源の位置が明らかとなり、明石海峡付近。
淡路島のどこかで震度6とのこと。
神戸の状況が気になりました。
鉄道は動いているのか、等々。

 やがて夜は明け、神戸の市街地がとんでもないことが明らかに。
 ヘリからの映像で阪神電車の御影留置線が崩れ、電車が下へ転がってます。
 これは血の気が引きました。
 今だったら命の危機になるほど本当に引きました。
 近所に知人が住んでいます(した)。

 その後、阪神高速道路が深江で横倒しの映像。

 御影留置線の近くの阪神電車石屋川車庫は、高架構造の高架が落ちたのか、電車は凸凹に波打ってます。

 その時点では神戸の震度発表はありませんでしたが、やがて震度6と発表。
 この神戸と宝塚の震度6は、後に現地調査で震度7と訂正されました。
 当時の震度階級判定は人の感覚によるもので、通常即時発表する震度は6(烈震)が最高で、震度7(激震)は建物倒壊率などから、気象庁職人による現地判定によるものとされていました
その震度7が初めて発表された地震でした。

 御影近くの知人は、建物全壊で怪我は有りましたが、全員助かりました。
そのほかの知人関係は亡くなった方はいませんが、どこそこの誰々さんは亡くなった、という話は聞きました。
とにかく、街の姿が変わってしまったことにショックです。

 3年前に体調を崩してからは、追悼のつどいには参加出来ていません。
 3.11と並んで大きな地震災害。
 この瞬間を体感した者としては、後世に繋いでいかねばなりません。
 人は忘れるように出来ています。
 地震は忘れてもいいんです。しかしその結果の震災は忘れてはなりません。

また起きた貸切バスの事故・無理があったのだろうか

$
0
0
 これまで報道で多くありました、15日未明の長野県軽井沢町でのスキー場へ向かう貸切バス事故。
中身がシビアですし、まだまだ分かっていない部分が多く、ブログでは暫くは書かないつもりでしたが、ブログ記事のタネにしている京都新聞・神戸新聞でも記事があり、新たな事実、というか少し背景が分かりかけてきましたので、書いてみます。

 事故の概要というものは、1月15日の未明、東京原宿から長野県斑尾高原へ向かっていた貸切バスが、下り坂で何らかの事情で、カーブを曲がり切れずに道路外へ飛び出し、転落しバス車体は大破した、という。
 正直、「また起きたか」と思いました。
 ただ、労務環境改善を目的として国土交通省は、貸切バス運賃で新たな制度を入れ、不当なダンピング(値下げ)を防止することになり、この種のもの(不当な値下げ要求)は無くなっているだろうと思っておりました。
 しかし、新たに判明したのは、バスを運行した事業者はこれまでにも国の基準よりも低い価格で引き受けていたこと。
京都新聞記事:「事故ツアー以外も基準違反低料金受注、全契約を調査
神戸新聞記事:「事故ツアー以外も基準違反 低料金受注、全契約を調査

 今回のツアーでは、正規の貸切運賃から大幅に低い価格で引き受けたことが判明しており、さらにこの社は新制度実施後も低い価格で引き受けた契約が二件あったとのこと。
つまり、新制度移行も、不当な値下げ慣行が続いていたわけです。

 貸切バス事業者が安い価格で運送を引き受けるのは、理由は簡単です。仕事がほしいから。現状は旅行社の立場は強いので、ツアーを企画する旅行社の値下げ要求を飲まざるを得ません。高いと他へ行ってしまいます。
 そうなると車両や、運転士に余裕が無くなり、無理な走行になります。
 そこに事故の要因があるとされ、貸切バス事業者は正当な価格でないと運送を引き受けてはいけないとされました。→国土交通省中部運輸局のPDF
 なのに、まだまだダンピングが続いていた。

 それと今回の事故とは直接は関係ないけど、鉄道の場合は、運転士に何らかの異変がおきると、直ちに列車を止める装置(デッドマン)がありますが、バスは、運転士に何かあっても、そのまま走行し続けてしまいます。
日常に路線バスに乗っていても、もしもを、ふと思ってしまいます。

 今回の事故の原因は分かりません。現状は速度超過が大きな因だそうですが、その速度超過に至った理由は、まだ分かりません。迂闊なことは書けませんし、憶測で書いてはいけません。

 この記事は、バスカテゴリではなく、ニュースな話題に入れました。バスはバスでも貸切バスで、路線バス事業ではありませんので。

2016年の土用と間日

$
0
0
 年が明けて、もう半月を過ぎました。暦を見ていたら昨日が土用の入りでした。
 このところ、弊ブログ記事「2015年の土用と間日」にアクセスが多く、今年分の土用と間日を書かねばならないと思っておりました。
 恐らく、関連キーワードでの検索が多いと察せられます。

 今年2016年の土用(どよう)と間日(まび)は次の通り。
 ・冬土用 1月18日~2月3日 間日1月21・22・24日・2月2・3日
 ・春土用 4月16日~5月4日 間日4月17・18・21・29・30日・5月3日
 ・夏土用 7月19日~8月6日 間日7月20・21・25・8月1・2・6日
 ・秋土用 10月20日~11月6日 間日10月20・28・30・11月1日
 ・2017年
  冬土用 1月17日~2月3日 間日1月18・27・28・30日

 余計な話しですが、今年の夏土用の丑の日は、私の誕生日である7月30日。
誰かにおねだりしよう。(笑)

 土用とは何か?間日とは何か?毎年のことで、過去記事参照してください、と書くところですがそれは無理ですし不親切というものですので、昨年の記事から丸写しですが再掲します。

 この土用とは中国からもたらせた五行説思想に基づくもの。万物の構成要素として「木・火・土・金・水(もっかどごんすい)」があり、これを季節にもあてはめます。五色とともにこんな組み合わせです。
 ・木 春 青
 ・火 夏 赤
 ・土 _ 黄
 ・金 秋 白
 ・水 冬 黒

 四季というように季節は四つですね。しかし五行説で五つ。余った「土」を四つに分け、各季節と季節の間の約18日間を土の支配する季節として、これを「土旺用事」としました。土旺用事はその後略されて「土用」に。

 そしてこの土旺用事(土用)は土公神(どくしん・どこうしん)という土の神が支配する期間で土の気が強く、穴を掘ったり柱を立てるなど、土・地面に係わる作業は慎むべきとされております。しかし18日間も作業が出来ないのでは都合が悪く大変なので、そこで考えた方がいるんですね。土公神がずっと土旺用事の間、活動しているわけではなく時々天上に戻られるので、その当日は土・地面に係わる作業を行ってもいい日とし、これを間日(まび)と言います。

 間日は、各日付の十二支で決められ、四季でその十二支が変わります。
 ・冬土用 寅・卯・巳の日
 ・春土用 巳・午・酉の日
 ・夏土用 卯・辰・申の日
 ・秋土用 未・酉・亥の日

 現在は土用の期間は、立春立夏など「四立の前日まで18日間」という定めではなく、太陽の経度(黄経)で決められます。
 ・冬土用 297度
 ・春土用 27度
 ・夏土用 117度
 ・秋土用 207度

 この角度は、次の様に割り出します。

 太陽の位置を表すのに「黄経」の角度を用います。春分点から始まって、ぐるりと一周で360度。四季で四等分するので、各季は90度分になります。しかしながら第五の季節“土用”というのがあって、360度を五等分した、72度分が各季の持分。土用はこれまでの通り、四立(立春・立夏・立秋・立冬)の前に四等分するので、72の四分の一で一つの季節の土用は18度分。これを四立となる黄経の前、各季の最後の18度分が土用として、加えます。

 ややこしい書き方になってしまいましたが、冬土用であれば、立春が黄経315度の瞬時。これより18度前が黄経297度でこの瞬間が土用の入りで、同時にこの瞬間となる日が土用の入りになります。

 土用の期間の最後は節分です。季節を分けるという意味です。

 それで、特に夏の土用と冬の土用は、暑さ寒さの極致で、体調も落ちやすく、追儺(ついな)の思想に繋がっていくわけです。追儺の行事、冬は鬼やらい、夏は夏越の大祓で今に続いています。
Viewing all 810 articles
Browse latest View live