昨6日、東京都品川区上大崎二丁目・三丁目で、恒例の「目黒のさんま祭り」がありました。毎年の行事で、今や恒例行事に。報道でもほぼ予定稿があがっています。
場所の上大崎とは、早い話が目黒駅前で、目黒駅前商店街振興組合青年部が主催の行事です。
最初始まった時は、サンマ1000匹の無料振る舞いで始まったものの、今や6000匹を宮城県宮古からの差し入れで盛大に振る舞い、落語の「目黒のさんま」などの上演を行う、9月初旬の有名な行事になりました。
最大の名物は、炭火焼サンマの無料振る舞い。これを求めて毎年大行列ができます。
午前10時から午後2時までですが、午前11時頃には行列に並んでもサンマにありつけないかもしれないということで、その時点で新たに並ぶのを止めたりしているそうです。
その行列も、目黒駅前近くの会場から始まり、上大崎の交差点を曲がりどんどん伸び、上大崎三丁目の交差点で五反田駅方向に曲がり、その辺りまで伸びるそうです。
毎年、このニュースに触れるたび、サンマの焼いたものなんて、たかだか数百円、千円もしないものですよね。
それなのに、隣の駅近くまで行列を為してまで頂くのは、どんなものだろうかと思っておりました。
youtubeにアップのニュースから。
「目黒のさんま祭り」に家族連れの列 宮古から6000匹
実は、9月には、もう一つ、炭火焼きサンマの無料振る舞いがあります。今年は9月20日にあります。
その名は「目黒のsunまつり」。こちらは目黒区民まつりとして開催され、実行委員会の主催です。
サンマは気仙沼から直送。
こちらも無料振る舞いが大の人気で、大行列だそうです。
さて、ここからが本題。落語・目黒のさんまに基づく行事が、全く別の所で二回行われるのが、よそ者にとって興味があります。
地理が得意な者にとって、理由は直ぐに分かります。
前記、目黒駅前は、現代の目黒、後者の目黒のSUN祭りは目黒区での行事。二つの目黒が現れます。
つまり土地としての目黒(後者)と通称としての目黒(前者)の違いですね。
以前に弊ブログで目黒駅の位置は目黒区には無いことを書きました。今回はそれの関連記事になりますが、目黒駅は品川区に所在した駅です。
山手線が、日本鉄道山手線として開業した際に、単なる地名の上大崎村よりは、目黒不動尊の近くで、江戸時代は近郊農村で風光明媚な「目黒」を名付けたものと考えています。
その目黒駅は、後に山手線で電車運転が始まり、東京市内電車並みの運転頻度に。
さらに、目黒蒲田電鉄(後の東急)の開通で、乗換駅。
電車が通り、乗換駅となれば、昔のことで、街が発達します。
すると、その街を含んだ界隈が目黒と呼ばれるようになり、本家の目黒区の目黒よりも、目黒駅前の方が目黒として名が高くなってしまいます。
これが目黒駅から、駅周辺を目黒と呼ばれるようになる、「駅名の地名化」です。
なので、目黒のさんまにまつわるお祭りが、二か所で行われるようになりました。
いずれも町おこしとして根付いたイベントです。
*** 追記 ***
このサンマですが、最近は漁獲量が随分減っているそうです。この先、サンマの無料提供が続けられるのかどうか、心配な状況だとも聞きました。
場所の上大崎とは、早い話が目黒駅前で、目黒駅前商店街振興組合青年部が主催の行事です。
最初始まった時は、サンマ1000匹の無料振る舞いで始まったものの、今や6000匹を宮城県宮古からの差し入れで盛大に振る舞い、落語の「目黒のさんま」などの上演を行う、9月初旬の有名な行事になりました。
最大の名物は、炭火焼サンマの無料振る舞い。これを求めて毎年大行列ができます。
午前10時から午後2時までですが、午前11時頃には行列に並んでもサンマにありつけないかもしれないということで、その時点で新たに並ぶのを止めたりしているそうです。
その行列も、目黒駅前近くの会場から始まり、上大崎の交差点を曲がりどんどん伸び、上大崎三丁目の交差点で五反田駅方向に曲がり、その辺りまで伸びるそうです。
毎年、このニュースに触れるたび、サンマの焼いたものなんて、たかだか数百円、千円もしないものですよね。
それなのに、隣の駅近くまで行列を為してまで頂くのは、どんなものだろうかと思っておりました。
youtubeにアップのニュースから。
「目黒のさんま祭り」に家族連れの列 宮古から6000匹
実は、9月には、もう一つ、炭火焼きサンマの無料振る舞いがあります。今年は9月20日にあります。
その名は「目黒のsunまつり」。こちらは目黒区民まつりとして開催され、実行委員会の主催です。
サンマは気仙沼から直送。
こちらも無料振る舞いが大の人気で、大行列だそうです。
さて、ここからが本題。落語・目黒のさんまに基づく行事が、全く別の所で二回行われるのが、よそ者にとって興味があります。
地理が得意な者にとって、理由は直ぐに分かります。
前記、目黒駅前は、現代の目黒、後者の目黒のSUN祭りは目黒区での行事。二つの目黒が現れます。
つまり土地としての目黒(後者)と通称としての目黒(前者)の違いですね。
以前に弊ブログで目黒駅の位置は目黒区には無いことを書きました。今回はそれの関連記事になりますが、目黒駅は品川区に所在した駅です。
山手線が、日本鉄道山手線として開業した際に、単なる地名の上大崎村よりは、目黒不動尊の近くで、江戸時代は近郊農村で風光明媚な「目黒」を名付けたものと考えています。
その目黒駅は、後に山手線で電車運転が始まり、東京市内電車並みの運転頻度に。
さらに、目黒蒲田電鉄(後の東急)の開通で、乗換駅。
電車が通り、乗換駅となれば、昔のことで、街が発達します。
すると、その街を含んだ界隈が目黒と呼ばれるようになり、本家の目黒区の目黒よりも、目黒駅前の方が目黒として名が高くなってしまいます。
これが目黒駅から、駅周辺を目黒と呼ばれるようになる、「駅名の地名化」です。
なので、目黒のさんまにまつわるお祭りが、二か所で行われるようになりました。
いずれも町おこしとして根付いたイベントです。
*** 追記 ***
このサンマですが、最近は漁獲量が随分減っているそうです。この先、サンマの無料提供が続けられるのかどうか、心配な状況だとも聞きました。