今朝、地震がありました。午前7時過ぎ、隣室の点けっ放しのNHKラジオ第一放送で、ニュースの音声が一瞬中断したかと思えば、緊急地震速報のチャイム音。まだ半分寝ぼけていましたが、緊急地震速報のチャイム音だと認識するまで、半覚醒だった故に若干時間がかかり、チャイムの最中に揺れ始めました。
この揺れいている時に、緊急地震速報の速報内容コメントが読み上げられ、長野県・岐阜県で地震、というものでした。
緊急地震速報チャイムの最中で地震動の揺れとは、直ぐ近くでの地震。
揺れが収まったところで、NHKラジオは地震速報のアナウンスに切り替わり、長野県南部で最大震度5強の地震があったとのアナウンス。
早速、いつもライブカメラを見ている、開田高原と上高地のカメラ映像を見ても、普段通り。
しかし、暫くして市町村震度が発表されて青ざめました。長野県王滝村震度5強、木曽町震度5強。
王滝村と木曽町、地元ではないですか。あ、地元というのは、私の名前であるkisomitakeの名の由来である、旧木曽郡三岳村。
三岳村の隣が王滝村で、三岳村は市町村合併で木曽町です。
なのでこの木曽町震度5強というのは、木曽町三岳であろうと。
この地域での強い地震は、1984年の長野県西部地震と命名された地震があります。
当時はあちこちに地震計が設置される以前で、気象庁の常駐官署(測候所など)においての体感観測による震度だけで、震源地に近い王滝村の震度は正確には分からないままで、建物被害や御嶽の斜面崩壊などから推定で震度6程度であっただろうとされています。
その地震とどのような関りか?まさか長野県西部地震の余震?或いは3年前の御嶽噴火の関連現象か?いろいろよく知っている地域だけに、さらに地学にも詳しいので、可能性が頭の中を駆け巡りました。
気象庁webサイトでも地震速報が報じられ、それによれば発震時刻は7時2分。北緯35.9度、東経137.6度で推定マグニチュード(暫定)5.7、震源の深さはごく浅い、とのこと。
全国。
中部地方。
長野県。
愛知県。
地震の状況。夕方6時半(18時半)にこの画面を採取したので、まだまだ続いています。
震央の位置(グーグルマップ)。
1979年(昭和54年)の長野県西部地震の震央は、この位置よりもう少し南です。
この図で分かる通り、御嶽の山体からは離れている上に、この場所は御嶽の火山活動がみられるエリアではなく、単純に地殻の動きによる地震でしょう。
震央がより人里に近いことから、やはり建物被害が出ております。
木曽町のお宅では、屋根瓦が落ちたり、三岳小中学校では、天井が落ちたりと。
そこで気になるのは、我が家の霊神碑。四合目にあります。震度5強エリアです。倒れてやしないか。
しかしどうしようもありません。尤もどうかしようとしても、脳出血後遺障害の身では、現地へ行くこともできず、どうしようもありません。
NHKなど報道では、やたら木曽町、木曽町と連呼していますが、木曽町全域で震度5強ではなく、あくまで旧三岳村、それも村域の一部です。
ただNHKテレビのニュース映像では、木曽福島駅近くの日産販売の建物ガラスが割れている映像があり、ここは地形の影響で地震動の波が干渉したのではないかと思います。(高台の端の方に位置している)
余震が続いており、現地の震度が4程度になると、我が家でも微かに地震を感じます。
揺れたかな?と思うと、NHKラジオでは地震速報のアナウンスが流れ、やはり地震であったことがわかります。
***
ところで、この25日の地震、第一報では「長野県南部」という大まかな地域区分でした。やがて震央の位置が分かりましたが、1979年の地震では「長野県西部地震」と命名されています。これは長野県西部に起きたから、ということですが、この地域は長野県西部ではなかったのでは?
そこで気象庁の警報・注意報予報区分の図を見ると、木曽郡は「長野県南部」と区分されていました。
その後の地域区分の改正によるものであろうと、考えられます。
この揺れいている時に、緊急地震速報の速報内容コメントが読み上げられ、長野県・岐阜県で地震、というものでした。
緊急地震速報チャイムの最中で地震動の揺れとは、直ぐ近くでの地震。
揺れが収まったところで、NHKラジオは地震速報のアナウンスに切り替わり、長野県南部で最大震度5強の地震があったとのアナウンス。
早速、いつもライブカメラを見ている、開田高原と上高地のカメラ映像を見ても、普段通り。
しかし、暫くして市町村震度が発表されて青ざめました。長野県王滝村震度5強、木曽町震度5強。
王滝村と木曽町、地元ではないですか。あ、地元というのは、私の名前であるkisomitakeの名の由来である、旧木曽郡三岳村。
三岳村の隣が王滝村で、三岳村は市町村合併で木曽町です。
なのでこの木曽町震度5強というのは、木曽町三岳であろうと。
この地域での強い地震は、1984年の長野県西部地震と命名された地震があります。
当時はあちこちに地震計が設置される以前で、気象庁の常駐官署(測候所など)においての体感観測による震度だけで、震源地に近い王滝村の震度は正確には分からないままで、建物被害や御嶽の斜面崩壊などから推定で震度6程度であっただろうとされています。
その地震とどのような関りか?まさか長野県西部地震の余震?或いは3年前の御嶽噴火の関連現象か?いろいろよく知っている地域だけに、さらに地学にも詳しいので、可能性が頭の中を駆け巡りました。
気象庁webサイトでも地震速報が報じられ、それによれば発震時刻は7時2分。北緯35.9度、東経137.6度で推定マグニチュード(暫定)5.7、震源の深さはごく浅い、とのこと。
全国。
中部地方。
長野県。
愛知県。
地震の状況。夕方6時半(18時半)にこの画面を採取したので、まだまだ続いています。
震央の位置(グーグルマップ)。
1979年(昭和54年)の長野県西部地震の震央は、この位置よりもう少し南です。
この図で分かる通り、御嶽の山体からは離れている上に、この場所は御嶽の火山活動がみられるエリアではなく、単純に地殻の動きによる地震でしょう。
震央がより人里に近いことから、やはり建物被害が出ております。
木曽町のお宅では、屋根瓦が落ちたり、三岳小中学校では、天井が落ちたりと。
そこで気になるのは、我が家の霊神碑。四合目にあります。震度5強エリアです。倒れてやしないか。
しかしどうしようもありません。尤もどうかしようとしても、脳出血後遺障害の身では、現地へ行くこともできず、どうしようもありません。
NHKなど報道では、やたら木曽町、木曽町と連呼していますが、木曽町全域で震度5強ではなく、あくまで旧三岳村、それも村域の一部です。
ただNHKテレビのニュース映像では、木曽福島駅近くの日産販売の建物ガラスが割れている映像があり、ここは地形の影響で地震動の波が干渉したのではないかと思います。(高台の端の方に位置している)
余震が続いており、現地の震度が4程度になると、我が家でも微かに地震を感じます。
揺れたかな?と思うと、NHKラジオでは地震速報のアナウンスが流れ、やはり地震であったことがわかります。
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ところで、この25日の地震、第一報では「長野県南部」という大まかな地域区分でした。やがて震央の位置が分かりましたが、1979年の地震では「長野県西部地震」と命名されています。これは長野県西部に起きたから、ということですが、この地域は長野県西部ではなかったのでは?
そこで気象庁の警報・注意報予報区分の図を見ると、木曽郡は「長野県南部」と区分されていました。
その後の地域区分の改正によるものであろうと、考えられます。