昨日4月1日は、エイプリルフールのほか、JR各社が発足して30周年です。実際にはこれの少し前に設立がなされているはずですが、公式には昭和62年4月1日発足、ということになっています。
大赤字の日本国有鉄道を分割し、組織を解体して、鉄道事業と自動車事業を新たに発足した、六つの旅客鉄道(株)に継承したもので、それから30年の月日が流れました。
昨日は、マスコミでもレゴランド開園に続き、何度かニュースで報じられました。
NHKニュース:JR各社 きょうで発足30年
神戸新聞記事:JR発足30年 ローカル線の経営に明暗
旧国鉄は経営的には大赤字で長期債務も37兆円を超すような状態で、国家としてどうにかしなければならない状況でした。
さらに旧国鉄は接客の面で「親方日の丸」の意識からか、極めて官僚的、さらにつっけんどんな対応で、これを民間のやり方に変えたい、という意識からの面でも分割民営化が推し進められたものです。
分割は、千代田区丸の内の国鉄本社で物事を決めるのではなく、各地域にあった運営をしよう、さらに広い日本を一律で運営するよりは地域にあった運営をしよう、ということで本州を三分割と三つの島の旅客鉄道会社、さらに全国一律で経営する日本貨物鉄道会社の計7社に分割したものです。
30年前、ブログをやっていたらどんなことを書いただろうな。
30歳以下どころか、「記憶」という点からすると、40歳以下の方は殆ど国鉄の感覚は無いだろうと思います。
昭和62年3月31日、実は国鉄の主要な線は大混乱に陥っていました。
「謝恩フリーきっぷ」という昭和62年3月31日限り有効のフリー乗車券が発売され、この切符は乗車券部分だけでなく自由席の急行・特急列車に乗れるというもので、長距離列車の自由席部分は大混雑、大垣夜行も混雑の極みで、急遽、救済の臨時列車が運転されたと、後になって知りました。
(青汁の始まりらしいです。救済=キューサイ=青汁、隠語です)
そんな状況の中、東京駅からJR旅客会社の主要な駅へ向けての記念列車が発車するということで、大混雑のホームの中、「国鉄からJR」というキーワードのようなセレモニーがあり、当時の橋本運輸大臣がセレモニー的に発車合図をやった、ということをNHKテレビで見ました。
その出発ホームは大混雑、新幹線も謝恩フリーきっぷで乗れたので、これも大混雑、どこも大混雑の中、国鉄最後の日となりました。
私が子どもの頃、というかも少し大きくなってもですが、国鉄のことを「汽車」という方がとても多かったです。
さすがに昨今は「汽車」という言葉は聞かれませんが、その汽車をよく耳にしていた頃に一度だけ「省線」という言葉を聞きました。
省線、何だろう?とその時は思ったものです。
後になり、昔の鉄道省。日本国有鉄道が発足する以前の国鉄組織。
その省の耳朶は変遷が幾つかありましたが、その省の頃の感覚のままの方がいらしたのですね。
三公社の国鉄公社が発足したのは1949年(昭和24年)6月1日。この辺は空で言えます。
今年JR発足して30年ですので、国鉄公社が発足して30年経過では1979年(昭和54年)頃になりますね。
そうやって物差しを考えています。
ちなみに、国鉄組織の変遷をサラッと書けば、次の通り。
1872年(明治5年)の鉄道開業当時は、工部省鉄道寮
1877年(明治10年)工部省鉄道局。局へ格上げ
1885年(明治18年)工部省を廃止し、鉄道局は内閣直属の機関
1890年(明治23年)内務省鉄道庁
1892年(明治25年)逓信省鉄道庁
1893年(明治26年)逓信省鉄道局
1897年(明治30年)鉄道作業局(逓信省の外局として独立)
1907年(明治40年)帝国鉄道庁
1908年(明治41年)鉄道院
1920年(大正9年)鉄道省
1943年(昭和18年)運輸通信省
1945年(昭和20年)運輸省
1949年(昭和24年)公共企業体国鉄公社
1987年(昭和62年)国鉄改革で公共企業体国鉄公社は国鉄清算事業団に改組
マスコミのニュースでは、JR各社の入社式があったことも報じています。
そのどこかで唱えられたそうですが、安全綱領というものがあります。
一、安全の確保は輸送の生命である
一、規程の順守は安全の基礎である
一、執務の厳正は安全の要件である
何かニュースでは違うこと言っていたな。今は少し違うのであろうか。
大赤字の日本国有鉄道を分割し、組織を解体して、鉄道事業と自動車事業を新たに発足した、六つの旅客鉄道(株)に継承したもので、それから30年の月日が流れました。
昨日は、マスコミでもレゴランド開園に続き、何度かニュースで報じられました。
NHKニュース:JR各社 きょうで発足30年
神戸新聞記事:JR発足30年 ローカル線の経営に明暗
旧国鉄は経営的には大赤字で長期債務も37兆円を超すような状態で、国家としてどうにかしなければならない状況でした。
さらに旧国鉄は接客の面で「親方日の丸」の意識からか、極めて官僚的、さらにつっけんどんな対応で、これを民間のやり方に変えたい、という意識からの面でも分割民営化が推し進められたものです。
分割は、千代田区丸の内の国鉄本社で物事を決めるのではなく、各地域にあった運営をしよう、さらに広い日本を一律で運営するよりは地域にあった運営をしよう、ということで本州を三分割と三つの島の旅客鉄道会社、さらに全国一律で経営する日本貨物鉄道会社の計7社に分割したものです。
30年前、ブログをやっていたらどんなことを書いただろうな。
30歳以下どころか、「記憶」という点からすると、40歳以下の方は殆ど国鉄の感覚は無いだろうと思います。
昭和62年3月31日、実は国鉄の主要な線は大混乱に陥っていました。
「謝恩フリーきっぷ」という昭和62年3月31日限り有効のフリー乗車券が発売され、この切符は乗車券部分だけでなく自由席の急行・特急列車に乗れるというもので、長距離列車の自由席部分は大混雑、大垣夜行も混雑の極みで、急遽、救済の臨時列車が運転されたと、後になって知りました。
(青汁の始まりらしいです。救済=キューサイ=青汁、隠語です)
そんな状況の中、東京駅からJR旅客会社の主要な駅へ向けての記念列車が発車するということで、大混雑のホームの中、「国鉄からJR」というキーワードのようなセレモニーがあり、当時の橋本運輸大臣がセレモニー的に発車合図をやった、ということをNHKテレビで見ました。
その出発ホームは大混雑、新幹線も謝恩フリーきっぷで乗れたので、これも大混雑、どこも大混雑の中、国鉄最後の日となりました。
私が子どもの頃、というかも少し大きくなってもですが、国鉄のことを「汽車」という方がとても多かったです。
さすがに昨今は「汽車」という言葉は聞かれませんが、その汽車をよく耳にしていた頃に一度だけ「省線」という言葉を聞きました。
省線、何だろう?とその時は思ったものです。
後になり、昔の鉄道省。日本国有鉄道が発足する以前の国鉄組織。
その省の耳朶は変遷が幾つかありましたが、その省の頃の感覚のままの方がいらしたのですね。
三公社の国鉄公社が発足したのは1949年(昭和24年)6月1日。この辺は空で言えます。
今年JR発足して30年ですので、国鉄公社が発足して30年経過では1979年(昭和54年)頃になりますね。
そうやって物差しを考えています。
ちなみに、国鉄組織の変遷をサラッと書けば、次の通り。
1872年(明治5年)の鉄道開業当時は、工部省鉄道寮
1877年(明治10年)工部省鉄道局。局へ格上げ
1885年(明治18年)工部省を廃止し、鉄道局は内閣直属の機関
1890年(明治23年)内務省鉄道庁
1892年(明治25年)逓信省鉄道庁
1893年(明治26年)逓信省鉄道局
1897年(明治30年)鉄道作業局(逓信省の外局として独立)
1907年(明治40年)帝国鉄道庁
1908年(明治41年)鉄道院
1920年(大正9年)鉄道省
1943年(昭和18年)運輸通信省
1945年(昭和20年)運輸省
1949年(昭和24年)公共企業体国鉄公社
1987年(昭和62年)国鉄改革で公共企業体国鉄公社は国鉄清算事業団に改組
マスコミのニュースでは、JR各社の入社式があったことも報じています。
そのどこかで唱えられたそうですが、安全綱領というものがあります。
一、安全の確保は輸送の生命である
一、規程の順守は安全の基礎である
一、執務の厳正は安全の要件である
何かニュースでは違うこと言っていたな。今は少し違うのであろうか。