日本の識字率は、限りなく100%に近いという資料があります。逆に言えば文盲率は限りなく0%ということですが、正直これ疑いたくなる光景をちょくちょく見かけます。
先日、名鉄一宮のバス乗り場と鉄道の駅を結ぶ通路にある缶飲料自販機で。
自販機の隣には、空き缶・空きペットボトルを捨てる投入口がありますが、通路を駅から来た若者がこの穴に缶・ペットボトル以外のごみを無理やりに捨てようとしています。
投入口には、「缶・ペットボトル」と表記してあるのに。
その若者は文字が読めないのかもしれません。
いえ、日本の識字率はほぼ1005なので、この若者は漢字テストを受ければ、必ず正確に読むと思います。
しかし、文字はただ試験合格のためにあるのではなく、意思を伝達する情報手段の一つとして存在します。
その意思を伝達する図形、すなわち文字は、その語彙に沿った法則で文章を成り立たせ、正しい情報として得ることになります。
そこまで正しく理解出来てこそ文字の識字率だと思うのですが。
そうなると、日本の識字率は結構下がりそうです。
ごみ箱で、燃えるゴミ・プラスチックと分別表記してあるのに、混ぜて同じ投入口から入れたり、禁煙表記があるのに喫煙したり、道路交通の場では制限が30km/hとあるのに、それを上回る速度で走行したり、全~部、字が読めない人たちだと思います。いえ、「文字」は読めてもその意味を解することが出来ない、結果的に文盲の方です。
こういうのは、マナーの範疇に入るとされますが、なんのための文字情報なのかを今一度、考えたいところです。
一つ、日本の習慣でいやらしいことを書いてみます。引越しされると、転居案内が出されますね。その文面によくある「お近くにお越しの節は、どうぞお寄りください」。
さらに文面ではないですが、何方かがお出かけされると、「お土産は要らないよ~」と言われれば、それは逆の意味と捉えられて、「お土産買って来い」というような習慣があるそうです。
前者の、転居通知、後者のお土産不要、実は・・・、とも、逆の意味合いを記した、或いは述べた文章です。
こういう、言葉を言葉通りに捉えられない、日本のおかしな習慣が、缶・ペットボトルの表記が見えず(読めず)普通のゴミを捨てる行為につながるのだろうか・・・。
先日、名鉄一宮のバス乗り場と鉄道の駅を結ぶ通路にある缶飲料自販機で。
自販機の隣には、空き缶・空きペットボトルを捨てる投入口がありますが、通路を駅から来た若者がこの穴に缶・ペットボトル以外のごみを無理やりに捨てようとしています。
投入口には、「缶・ペットボトル」と表記してあるのに。
その若者は文字が読めないのかもしれません。
いえ、日本の識字率はほぼ1005なので、この若者は漢字テストを受ければ、必ず正確に読むと思います。
しかし、文字はただ試験合格のためにあるのではなく、意思を伝達する情報手段の一つとして存在します。
その意思を伝達する図形、すなわち文字は、その語彙に沿った法則で文章を成り立たせ、正しい情報として得ることになります。
そこまで正しく理解出来てこそ文字の識字率だと思うのですが。
そうなると、日本の識字率は結構下がりそうです。
ごみ箱で、燃えるゴミ・プラスチックと分別表記してあるのに、混ぜて同じ投入口から入れたり、禁煙表記があるのに喫煙したり、道路交通の場では制限が30km/hとあるのに、それを上回る速度で走行したり、全~部、字が読めない人たちだと思います。いえ、「文字」は読めてもその意味を解することが出来ない、結果的に文盲の方です。
こういうのは、マナーの範疇に入るとされますが、なんのための文字情報なのかを今一度、考えたいところです。
一つ、日本の習慣でいやらしいことを書いてみます。引越しされると、転居案内が出されますね。その文面によくある「お近くにお越しの節は、どうぞお寄りください」。
さらに文面ではないですが、何方かがお出かけされると、「お土産は要らないよ~」と言われれば、それは逆の意味と捉えられて、「お土産買って来い」というような習慣があるそうです。
前者の、転居通知、後者のお土産不要、実は・・・、とも、逆の意味合いを記した、或いは述べた文章です。
こういう、言葉を言葉通りに捉えられない、日本のおかしな習慣が、缶・ペットボトルの表記が見えず(読めず)普通のゴミを捨てる行為につながるのだろうか・・・。