日経関西発web版記事からです。京都府しか通らず、奈良県には線路が無いのに「奈良線」とはなぜ?という記事、というか話題がありました。
記事:京都府しか通らない「JR奈良線」(とことんサーチ) 名の由来 100年前の再編
JR西日本の奈良線、起点は京都駅、終点は木津駅で、全線が京都府内です。
線路は京都~木津間ですが、運行は木津駅まで行く列車は全て奈良駅まで行きます。
この奈良県を通らない奈良線は、不思議な現象ということで時々話題になりますが、理由はすこぶる簡単。
昔は「奈良鉄道」だったからです。
奈良線は国鉄が開通させたのではなく、奈良鉄道という私設鉄道が開通させました。
明治時代の鉄道路線発展期は、国の鉄道敷設は無理があるので、迅速に鉄道を広げるために民間の資本を導入する「私設鉄道」という事業体で敷設され、全国津々浦々に「鉄道」が広がりました。
ここでいう「鉄道」とは全国ネットワークを構成するレールウェイで、当時の準拠法である私設鉄道法に規定があり、「国の必要があれば、買収に応じなければならず、これを拒むことはできない」とあり、明治39年の鉄道国有法で全国の多くの「私設鉄道」が国鉄となりました。
この鉄道国有法で買収された鉄道は、買収前の会社名をそのまま線名としていたようで、奈良線は奈良鉄道(株)。自動的に奈良線となりました。
名古屋駅から西へ至る関西本線も、私設鉄道由来の路線で、買収前は「関西鉄道」。これをそのまま関西本線としました。
が、「関西」の読みが違っています。関西鉄道時代の「関西」は漢音読みの「かんせい」。
しかし、今の関西本線の「関西」は呉音読みの「かんさい」になってしまいました。
私設鉄道法による私設鉄道で、後に国有化で国鉄になった路線は、参宮鉄道→参宮線、成田鉄道→成田線、山陽鉄道→山陽本線、などがあります。日本鉄道と九州鉄道は路線はいくつかあったので、○○線のような具体的な線名でしたが、総括した日本線、九州線という称し方はあったようです。
少し豆知識。
「私設鉄道」は、あくまで国のグローバルな鉄道、という位置づけなので、その運営も国の意向があり、運賃制定も自由度が無く、ゲージサイズ(軌間でななく車両限界など)は国鉄に準ずるもので、とても厳しく窮屈で、国のグローバルな鉄道ではなく、一地域のローカルな鉄道という位置付けで規格が緩やかな鉄道の規定が出来ました。
それが軽便鉄道法で、軌間を含めたゲージサイズは自由、運賃制定も自由で、国鉄と連絡運輸も考慮されない鉄道が登場しました。
軽便鉄道法の名の通り、軽便鉄道の準拠法ともなり、今でいうナローゲージの軽便鉄道はこの時期にできたもので、私設鉄道法と軽便鉄道法を合体させたものが、地方鉄道法となります。
地方鉄道法が制定された後背は、私設鉄道が国鉄にほぼ買収され、実態が極めて少なくなり、二つの鉄道法を一つにまとめたものです。
「私鉄」という言葉の元になったのが、この「私設鉄道」です。
日経記事にはありませんでしたが、奈良線、開業時は奈良鉄道の稲荷駅の南方、今の名神高速道路交差付近から京都駅までの間は旧東海道本線の線路敷地に敷設されたもので、稲荷駅にあるレンガ造りの危険物倉庫(ランプ小屋)は、現存する国鉄最古の建造物で、東海道本線だった頃の建物です。
記事:京都府しか通らない「JR奈良線」(とことんサーチ) 名の由来 100年前の再編
JR西日本の奈良線、起点は京都駅、終点は木津駅で、全線が京都府内です。
線路は京都~木津間ですが、運行は木津駅まで行く列車は全て奈良駅まで行きます。
この奈良県を通らない奈良線は、不思議な現象ということで時々話題になりますが、理由はすこぶる簡単。
昔は「奈良鉄道」だったからです。
奈良線は国鉄が開通させたのではなく、奈良鉄道という私設鉄道が開通させました。
明治時代の鉄道路線発展期は、国の鉄道敷設は無理があるので、迅速に鉄道を広げるために民間の資本を導入する「私設鉄道」という事業体で敷設され、全国津々浦々に「鉄道」が広がりました。
ここでいう「鉄道」とは全国ネットワークを構成するレールウェイで、当時の準拠法である私設鉄道法に規定があり、「国の必要があれば、買収に応じなければならず、これを拒むことはできない」とあり、明治39年の鉄道国有法で全国の多くの「私設鉄道」が国鉄となりました。
この鉄道国有法で買収された鉄道は、買収前の会社名をそのまま線名としていたようで、奈良線は奈良鉄道(株)。自動的に奈良線となりました。
名古屋駅から西へ至る関西本線も、私設鉄道由来の路線で、買収前は「関西鉄道」。これをそのまま関西本線としました。
が、「関西」の読みが違っています。関西鉄道時代の「関西」は漢音読みの「かんせい」。
しかし、今の関西本線の「関西」は呉音読みの「かんさい」になってしまいました。
私設鉄道法による私設鉄道で、後に国有化で国鉄になった路線は、参宮鉄道→参宮線、成田鉄道→成田線、山陽鉄道→山陽本線、などがあります。日本鉄道と九州鉄道は路線はいくつかあったので、○○線のような具体的な線名でしたが、総括した日本線、九州線という称し方はあったようです。
少し豆知識。
「私設鉄道」は、あくまで国のグローバルな鉄道、という位置づけなので、その運営も国の意向があり、運賃制定も自由度が無く、ゲージサイズ(軌間でななく車両限界など)は国鉄に準ずるもので、とても厳しく窮屈で、国のグローバルな鉄道ではなく、一地域のローカルな鉄道という位置付けで規格が緩やかな鉄道の規定が出来ました。
それが軽便鉄道法で、軌間を含めたゲージサイズは自由、運賃制定も自由で、国鉄と連絡運輸も考慮されない鉄道が登場しました。
軽便鉄道法の名の通り、軽便鉄道の準拠法ともなり、今でいうナローゲージの軽便鉄道はこの時期にできたもので、私設鉄道法と軽便鉄道法を合体させたものが、地方鉄道法となります。
地方鉄道法が制定された後背は、私設鉄道が国鉄にほぼ買収され、実態が極めて少なくなり、二つの鉄道法を一つにまとめたものです。
「私鉄」という言葉の元になったのが、この「私設鉄道」です。
日経記事にはありませんでしたが、奈良線、開業時は奈良鉄道の稲荷駅の南方、今の名神高速道路交差付近から京都駅までの間は旧東海道本線の線路敷地に敷設されたもので、稲荷駅にあるレンガ造りの危険物倉庫(ランプ小屋)は、現存する国鉄最古の建造物で、東海道本線だった頃の建物です。