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Channel: mitakeつれづれなる抄
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21年目の1.17

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 今日は、1月17日。忌まわしい兵庫県南部地震から21年目。
昨年が20年目で、当然ながら「何年目」の数字はどんどん大きくなります。
それだけ人々の印象も風化していくわけですが、私は神戸の街を知っているだけに、忘れることはできません。

 毎年、同じことを書いていますが、1995年1月17日は、神戸へ行く予定をしていました。(青春18も残り一枚ですし・笑)
 しかし前の晩は寝付けず、明け方に何やら若者が騒ぐ声。
何だろうかと思う間もなく、大きな揺れ。
かなり大きな揺れでしたので、憂慮されている南海トラフによる海溝型地震、つまり東海地震かと思いました。
一番揺れていた時で、吊り下げ形の蛍光灯がゆらゆら揺れる程度でしたので、東海地震ではないなと直感。
しかし、ゆさゆさ揺れるのは、近くではなく、遠くの地震だと判断。
 その際の時刻は5時48分。
直ぐにテレビを点け(当時はテレビに情報を頼ってました)たら、NHKでは既に地震速報をやってました。
その際のスタジオ速報からは、自宅と同じ5時48分ごろに地震があったと伝えています。
しかし震源は関西地方。
そしてNHKは大阪局に切り替わり。
震源の位置が明らかとなり、明石海峡付近。
淡路島のどこかで震度6とのこと。
神戸の状況が気になりました。
鉄道は動いているのか、等々。

 やがて夜は明け、神戸の市街地がとんでもないことが明らかに。
 ヘリからの映像で阪神電車の御影留置線が崩れ、電車が下へ転がってます。
 これは血の気が引きました。
 今だったら命の危機になるほど本当に引きました。
 近所に知人が住んでいます(した)。

 その後、阪神高速道路が深江で横倒しの映像。

 御影留置線の近くの阪神電車石屋川車庫は、高架構造の高架が落ちたのか、電車は凸凹に波打ってます。

 その時点では神戸の震度発表はありませんでしたが、やがて震度6と発表。
 この神戸と宝塚の震度6は、後に現地調査で震度7と訂正されました。
 当時の震度階級判定は人の感覚によるもので、通常即時発表する震度は6(烈震)が最高で、震度7(激震)は建物倒壊率などから、気象庁職人による現地判定によるものとされていました
その震度7が初めて発表された地震でした。

 御影近くの知人は、建物全壊で怪我は有りましたが、全員助かりました。
そのほかの知人関係は亡くなった方はいませんが、どこそこの誰々さんは亡くなった、という話は聞きました。
とにかく、街の姿が変わってしまったことにショックです。

 3年前に体調を崩してからは、追悼のつどいには参加出来ていません。
 3.11と並んで大きな地震災害。
 この瞬間を体感した者としては、後世に繋いでいかねばなりません。
 人は忘れるように出来ています。
 地震は忘れてもいいんです。しかしその結果の震災は忘れてはなりません。

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