昨日は、青陽会定式能があり、拝見してまいりました。帰宅後にブログ書くつもりでしたが、年賀はがきのあて名を書いていたら疲れてしまい、沈没。
今日の更新になってしまいました。
いえ、裏面は阪急電車の写真で、表面の宛名だけを書けばいいのですが、まだ文字を書くには麻痺が残っていますので、一苦労・・・。
という言い訳は兎も角、名古屋の観世流による定期能「青陽会」も、上演回数が減り今年は三回。その三回目が昨日でした。
しかも能は二番だけと、一時より縮小されました。
やはり能の世界自体が縮小になっているようです。
今年はお世話になった先生(能楽師)が亡くなり、お弟子さんも結果的に止められる方もいて、こうして世界の底辺自体が小さくなっていくんですね。
今回の上演曲目です。
仕舞
西王母 角田尚香
経正 村井郁子
野宮 前野郁子
能
隅田川 シテ・星野路子 ワキ・高安勝久 ワキツレ・橋本宰
仕舞
清経 久田勘吉朗
花筐 松山幸親
通小町 祖父江修一
狂言
萩大名 大名・今枝郁雄 太郎冠者・鹿島俊裕 庭の亭主・大橋則夫
能
殺生石 シテ・伊藤裕貴 ワキ・椙元正樹 アイ・佐藤融
隅田川
その名の通り、隅田川の渡し場が舞台で、物狂いの女がやって来たことから話は始まります。
女は、息子を探しにこの隅田川の渡し場までやってきたのですが、そこでは一年前に子供が亡くなり、その供養があると言います。
それを聞いた女は、その話は我が息子だと言い、大念仏で息子の塚で弔います。
するとどこからともなく子どもの声で「南無阿弥陀」と聞こえてきます。
それは息子の霊で、夜空が白み始めるとともにふっと消える、という内容。
物狂いの女がシテ(中心人物)で、能の隅田川は、子どもの役に、能楽師の子どもが担当する「子方」が出るのですが、今回はどんな事情があったのか、子方無しの演出でした。
番組表にも名前が載っておらず、不思議だな?と思いました。
このことをお世話になっている東京の先生にお伺いしたら、昨今は子どもの稽古事情もあり子方を出さないこともありますよ。とのことでした。
能楽の家に生まれると、隅田川や鞍馬のような子方の出る曲を経て能の修行の過程となるのですが、こういう所も能の底辺の縮小なのかもしれません。
狂言、萩大名
よく知っている演目です。訴訟あって京に上っていた大名は、仕事も終わり家来の太郎冠者に何か遊山を言いつけます。太郎冠者は下京に庭を持った亭主がいるので、そこはどうかと提案します。
その亭主は和歌が好みで、庭の拝観と引き換えに和歌を詠む、というのが習わし。
しかし田舎大名のこととて、和歌の嗜みは無く、太郎冠者に萩の花を詠んだ和歌を教えられるも覚えられず、太郎冠者の仕草で思い出させよう・・・ということになったものの、大名はハチャメチャな行い。
和歌を詠む途中で、太郎冠者は場を抜けてしまい、亭主に歌の続きを求められるも窮地に陥ってしまう・・・というオチ。
この時の和歌が「七重八重 九重とこそ思いしに 十重咲きいづる萩の花かな」ですけど、私、覚えてしまいました。
大名の失敗の場面では、若い女性のキャッという笑い声が響きました。
殺生石(せっしょうせき)
那須野原で、飛ぶ鳥も落ちる不思議な石があります。そこを通りがかかった高層がおかしいことだ、と思い見ていると一人の女が出てきて、その石は生あるものを殺すので近寄ってはいけない、と言います。
女は続けて、昔、都の女官である玉藻の前であったが、実は狐の化け物でそれがばれてしまい都からここまで逃げてきたが、ついに討たれてしまい、その霊魂が石に取り憑いている、と話します。
そして私(女)はその玉藻の前ですよ、告げてどこかへ消えます。
高僧は仏道に導こうと法要を行うと、石が割れ、中から狐の精霊が現れ、高僧の仏法により悪事は働かないと約束をし、那須野原に消えていきます。
見どころは大きな作り物の石が出ます。
プラネタリウムドームを四等分した二つ分の囲いを舞台に出して、そこへ女である前シテが入り、装束替えをします。
そして石が割れて、中から狐の精霊をした後シテが現れる、というもの。
付祝言(つけしゅうげん)は猩々。
今日の更新になってしまいました。
いえ、裏面は阪急電車の写真で、表面の宛名だけを書けばいいのですが、まだ文字を書くには麻痺が残っていますので、一苦労・・・。
という言い訳は兎も角、名古屋の観世流による定期能「青陽会」も、上演回数が減り今年は三回。その三回目が昨日でした。
しかも能は二番だけと、一時より縮小されました。
やはり能の世界自体が縮小になっているようです。
今年はお世話になった先生(能楽師)が亡くなり、お弟子さんも結果的に止められる方もいて、こうして世界の底辺自体が小さくなっていくんですね。
今回の上演曲目です。
仕舞
西王母 角田尚香
経正 村井郁子
野宮 前野郁子
能
隅田川 シテ・星野路子 ワキ・高安勝久 ワキツレ・橋本宰
仕舞
清経 久田勘吉朗
花筐 松山幸親
通小町 祖父江修一
狂言
萩大名 大名・今枝郁雄 太郎冠者・鹿島俊裕 庭の亭主・大橋則夫
能
殺生石 シテ・伊藤裕貴 ワキ・椙元正樹 アイ・佐藤融
隅田川
その名の通り、隅田川の渡し場が舞台で、物狂いの女がやって来たことから話は始まります。
女は、息子を探しにこの隅田川の渡し場までやってきたのですが、そこでは一年前に子供が亡くなり、その供養があると言います。
それを聞いた女は、その話は我が息子だと言い、大念仏で息子の塚で弔います。
するとどこからともなく子どもの声で「南無阿弥陀」と聞こえてきます。
それは息子の霊で、夜空が白み始めるとともにふっと消える、という内容。
物狂いの女がシテ(中心人物)で、能の隅田川は、子どもの役に、能楽師の子どもが担当する「子方」が出るのですが、今回はどんな事情があったのか、子方無しの演出でした。
番組表にも名前が載っておらず、不思議だな?と思いました。
このことをお世話になっている東京の先生にお伺いしたら、昨今は子どもの稽古事情もあり子方を出さないこともありますよ。とのことでした。
能楽の家に生まれると、隅田川や鞍馬のような子方の出る曲を経て能の修行の過程となるのですが、こういう所も能の底辺の縮小なのかもしれません。
狂言、萩大名
よく知っている演目です。訴訟あって京に上っていた大名は、仕事も終わり家来の太郎冠者に何か遊山を言いつけます。太郎冠者は下京に庭を持った亭主がいるので、そこはどうかと提案します。
その亭主は和歌が好みで、庭の拝観と引き換えに和歌を詠む、というのが習わし。
しかし田舎大名のこととて、和歌の嗜みは無く、太郎冠者に萩の花を詠んだ和歌を教えられるも覚えられず、太郎冠者の仕草で思い出させよう・・・ということになったものの、大名はハチャメチャな行い。
和歌を詠む途中で、太郎冠者は場を抜けてしまい、亭主に歌の続きを求められるも窮地に陥ってしまう・・・というオチ。
この時の和歌が「七重八重 九重とこそ思いしに 十重咲きいづる萩の花かな」ですけど、私、覚えてしまいました。
大名の失敗の場面では、若い女性のキャッという笑い声が響きました。
殺生石(せっしょうせき)
那須野原で、飛ぶ鳥も落ちる不思議な石があります。そこを通りがかかった高層がおかしいことだ、と思い見ていると一人の女が出てきて、その石は生あるものを殺すので近寄ってはいけない、と言います。
女は続けて、昔、都の女官である玉藻の前であったが、実は狐の化け物でそれがばれてしまい都からここまで逃げてきたが、ついに討たれてしまい、その霊魂が石に取り憑いている、と話します。
そして私(女)はその玉藻の前ですよ、告げてどこかへ消えます。
高僧は仏道に導こうと法要を行うと、石が割れ、中から狐の精霊が現れ、高僧の仏法により悪事は働かないと約束をし、那須野原に消えていきます。
見どころは大きな作り物の石が出ます。
プラネタリウムドームを四等分した二つ分の囲いを舞台に出して、そこへ女である前シテが入り、装束替えをします。
そして石が割れて、中から狐の精霊をした後シテが現れる、というもの。
付祝言(つけしゅうげん)は猩々。