もう時刻は23時を回っていますが、今日は1月17日。兵庫県南部地震に因る阪神・淡路大震災発生から23年目です。
毎年書いていることですが、これまで地震というものは地学的な関心で受け止めておりました。すなわち大地の活動として。
しかし地震で地面が動くと、当然怖いですし、それによる被害もあります。
そうした、地震の災害を身近な社会的な出来事として初めて遭遇したのが、この兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)です。
いつだったか、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で書きましたが、こうした地学的な変化は、過去の地質時代の出来事のような気がしていました。
しかしながら地球の活動で、少しずつ地表の変化の結果が今日の地形です。
つまり地震活動を経て、今の地形が作られたわけで、決して「地震」は過去のことではなく、地震があれば、これに伴う災害、つまり「震災」があるものです。
今年は震災から23年。ツイッターで相互フォローさせてもらっている大学生の方がおりまして、阪神電車と阪急電車の話題で震災の事に触れたら、「親から聞いた、すごい災害だったそうですね」と返信がありました。
23年も経てば、震災後に産まれた子ももう二十歳を過ぎているわけで、世代交代が進んでいます。
図らずもその一端をツイッターで感じたもので、今日の報道でも、「この災害をいかに次世代に伝えていくか」が大きなテーマだと報道しておりました。
その報道のもととなったのが、東遊園地で開催している、1.17の集いで、「1.17」の文字を竹灯籠のろうそくで描くイベントで、今年の文字は「伝」となったということえす。
20年も過ぎれば、いかに災害を伝えることの重要性が大きくなる、ということからだそうです。
旧居留地のツイッター画像から拝借。
毎日新聞速報ツイッターから。
そういえば、この1.17の集いを主催しておられる方も、東灘区在住でまだ二十歳代のお若い方。ツイッターで相互フォローさせてもらっていますが、震災は幼少の頃に体験しただけ、でよく覚えていない、と語っておられました。
いろいろな出来事は、自分自身に置き換えるとよく分かると思います。先ほどのツイッターの大学生の話、私にとっては伊勢湾台風のようなものです。
私は伊勢湾台風は遭遇しておりません。親の世代が遭遇しております。しかしながら伊勢湾台風の恐ろしさや、どんな災害だったのかは、繰り返し聞きました。
つまり私は伊勢湾台風こそ遭遇しておりませんが、次世代に語り伝えていかねばなりません。
阪神・淡路大震災も、地震による激しい揺れには遭遇していませんが、後に現地に入りこの災害に遭遇しておりますので、伝えていかねばなりません。
その伝える中には、「災害は忘れたころにやって来る」という寺田虎彦の言葉通りの結果です。災害を忘れてはいけません。「災害を忘れてはならない」とは記憶のことではなく、常日頃からの備えをせよ、ということです。
常日頃からの備え・・・、これを言われると私もきついな。せいぜい、災害に遭遇しないことを祈るのみです。
毎年書いていることですが、これまで地震というものは地学的な関心で受け止めておりました。すなわち大地の活動として。
しかし地震で地面が動くと、当然怖いですし、それによる被害もあります。
そうした、地震の災害を身近な社会的な出来事として初めて遭遇したのが、この兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)です。
いつだったか、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で書きましたが、こうした地学的な変化は、過去の地質時代の出来事のような気がしていました。
しかしながら地球の活動で、少しずつ地表の変化の結果が今日の地形です。
つまり地震活動を経て、今の地形が作られたわけで、決して「地震」は過去のことではなく、地震があれば、これに伴う災害、つまり「震災」があるものです。
今年は震災から23年。ツイッターで相互フォローさせてもらっている大学生の方がおりまして、阪神電車と阪急電車の話題で震災の事に触れたら、「親から聞いた、すごい災害だったそうですね」と返信がありました。
23年も経てば、震災後に産まれた子ももう二十歳を過ぎているわけで、世代交代が進んでいます。
図らずもその一端をツイッターで感じたもので、今日の報道でも、「この災害をいかに次世代に伝えていくか」が大きなテーマだと報道しておりました。
その報道のもととなったのが、東遊園地で開催している、1.17の集いで、「1.17」の文字を竹灯籠のろうそくで描くイベントで、今年の文字は「伝」となったということえす。
20年も過ぎれば、いかに災害を伝えることの重要性が大きくなる、ということからだそうです。
旧居留地のツイッター画像から拝借。
毎日新聞速報ツイッターから。
そういえば、この1.17の集いを主催しておられる方も、東灘区在住でまだ二十歳代のお若い方。ツイッターで相互フォローさせてもらっていますが、震災は幼少の頃に体験しただけ、でよく覚えていない、と語っておられました。
いろいろな出来事は、自分自身に置き換えるとよく分かると思います。先ほどのツイッターの大学生の話、私にとっては伊勢湾台風のようなものです。
私は伊勢湾台風は遭遇しておりません。親の世代が遭遇しております。しかしながら伊勢湾台風の恐ろしさや、どんな災害だったのかは、繰り返し聞きました。
つまり私は伊勢湾台風こそ遭遇しておりませんが、次世代に語り伝えていかねばなりません。
阪神・淡路大震災も、地震による激しい揺れには遭遇していませんが、後に現地に入りこの災害に遭遇しておりますので、伝えていかねばなりません。
その伝える中には、「災害は忘れたころにやって来る」という寺田虎彦の言葉通りの結果です。災害を忘れてはいけません。「災害を忘れてはならない」とは記憶のことではなく、常日頃からの備えをせよ、ということです。
常日頃からの備え・・・、これを言われると私もきついな。せいぜい、災害に遭遇しないことを祈るのみです。