元日のNHKラジオのニュースで報じられたことですが、長野県の県歌である「信濃の国」の7番の追加を検討しているそうです。
長野県民の殆どが歌える県民歌。
今は6番までの歌詞ですが、今年で制定50年になることから、現在6番までの歌詞に、新たに7番を追加しようとするものだそうです。
元日の新聞は夢のある記事を掲載するもので、長野県一の新聞である信毎(信濃毎日新聞)では元日の朝刊に、これが掲載されていたのかもしれません。
信濃の国は昭和43年に県民歌として制定され、今年で50年。長野県の地形や産業などを織り込んだ、大変美しい歌詞で、教育県の長野県らしく、県民の殆どが歌えるものですが、昨今は歌えない人がちょこちょこ出ているそうです。特に30代に歌えない人がいるようで、、教育の場で一時期、あまり教えなかった影響だそうです。
こんな歌詞。⇒長野県歌「信濃の国」
木曽御嶽の地にゆかりがある私も、1番だけは歌えます。「信濃の国は十州に さかい連ぬる国にして」。
演奏はこちら。
信濃の国合唱 歌詞と解説付き
これのアルクマダンスバージョンがあります。
アルクマダンス~信濃の国フルコーラスバージョン~
二番の歌詞に山々を挙げるところがありますが、「浅間はことに活火山」の行、当時は御嶽は噴火を始める前でした。
他に木曽関連の歌詞では、三番に「木曽の谷は真木茂り」。豊富な木材を表した歌詞ですが、実際には里の人は、その木材は使えませんでした。尾張徳川家の指定で御止め山でした。
四番の「旅のやどりの寝覚の床、木曽の桟かけし世も」、上松町の光景が思い出されます。
五番の「旭将軍義仲も」は、木曽義仲。旧日義村の村名の元となった人物です。奥さんが巴御前という人物。
そんな信濃の国、7番は公募にしたいともあるそうで、どんな歌詞が出来上がるのか、楽しみです。
体調を大きく崩して、今年で6年。木曽へももうその間出かけておりません。涙が出るほど懐かしいです。
長野県民の殆どが歌える県民歌。
今は6番までの歌詞ですが、今年で制定50年になることから、現在6番までの歌詞に、新たに7番を追加しようとするものだそうです。
元日の新聞は夢のある記事を掲載するもので、長野県一の新聞である信毎(信濃毎日新聞)では元日の朝刊に、これが掲載されていたのかもしれません。
信濃の国は昭和43年に県民歌として制定され、今年で50年。長野県の地形や産業などを織り込んだ、大変美しい歌詞で、教育県の長野県らしく、県民の殆どが歌えるものですが、昨今は歌えない人がちょこちょこ出ているそうです。特に30代に歌えない人がいるようで、、教育の場で一時期、あまり教えなかった影響だそうです。
こんな歌詞。⇒長野県歌「信濃の国」
木曽御嶽の地にゆかりがある私も、1番だけは歌えます。「信濃の国は十州に さかい連ぬる国にして」。
演奏はこちら。
信濃の国合唱 歌詞と解説付き
これのアルクマダンスバージョンがあります。
アルクマダンス~信濃の国フルコーラスバージョン~
二番の歌詞に山々を挙げるところがありますが、「浅間はことに活火山」の行、当時は御嶽は噴火を始める前でした。
他に木曽関連の歌詞では、三番に「木曽の谷は真木茂り」。豊富な木材を表した歌詞ですが、実際には里の人は、その木材は使えませんでした。尾張徳川家の指定で御止め山でした。
四番の「旅のやどりの寝覚の床、木曽の桟かけし世も」、上松町の光景が思い出されます。
五番の「旭将軍義仲も」は、木曽義仲。旧日義村の村名の元となった人物です。奥さんが巴御前という人物。
そんな信濃の国、7番は公募にしたいともあるそうで、どんな歌詞が出来上がるのか、楽しみです。
体調を大きく崩して、今年で6年。木曽へももうその間出かけておりません。涙が出るほど懐かしいです。