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Channel: mitakeつれづれなる抄
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国の重要文化財に、ナデ6141と東京地下鉄道1001を指定

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 本日、午後7時のNHKニュースの報道で知りましたが、我が国電気鉄道としてのエポックとなった車両のうち、旧国鉄のナデ6141と、旧東京地下鉄道の1001を重要文化財(重文)に指定したとのこと。
乗り物ニュース:通勤電車の祖「ナデ6141」国の重要文化財に指定へ 鉄道博物館収蔵
鉄道チャンネルニュース:地下鉄博物館所蔵「日本初の地下鉄車両1001号車」が国の重要文化財に指定

 いずれも高速・大量輸送の電気車両としてエポックとなった車両で、ナデ6141は大正初期に鉄道院の自社工場で製造された、ナデ6110形で、後に茨城県の日立電鉄へ払い下げられた車両を、国鉄時代の鉄道100周年の年、1972年(昭和47年)に国鉄が引き取り、登場当時の姿に復元の上、大井工場で保存し、鉄道100周年の鉄道記念日に鉄道記念物に指定されたものです。当時の鉄道ピクトリアル誌で報じられていました。

 東京地下鉄1001は、東京の地下鉄が1927年(昭和2年)12月30日に上野~浅草間が開業する際に導入された車両の一つで、1000形と称しており、1001番はその内の一両です。
 これも地下鉄50年の1977年の鉄道ピクトリアル12月増刊営団地下鉄特集で読みました。
 しかし子供のころから鉄道ピクトリアルを読んでるとは、渋いヲタですね。

 少し、余談交じりで書いてみますと、「鉄道院」とは鉄道省が発足する前の国鉄機関で、東京ローカルの高頻度運転を行う、いわゆる「電車区間」の始まりです。
 鉄道院の電車なので、この高頻度運転の電車の事を「院田」と読んでいました。
 鉄道院が鉄道省に変わり、院電も省電に変わり、鉄道省が日本国有鉄道、略して国鉄に変わり、省電が国電に変わった次第。
 高頻度運転なので、運転方式も「電車方式」というもので、標準時刻もこの時に採用されました。
 院電の流れが今のE電なのですが、E電なる語が事実上死語となっていますが、「電車特定区間」の特別扱いは今も続いています。


 「東京地下鉄道」というのは、今の東京メトロではなく、実業者早川徳次によって設立された民間の株式会社。
 メトロポリタンには、大量・高速輸送を行う交通機関が必要、ということでヨーロッパへ視察に行き、その成果を基に、東京の街角で自らが交通量の調査(市電の通行量と乗客数)を数え、その結果、最初の区間として上野~浅草間を開業したものです。
 当初から銀座延長を目論んでいました。

 1000形は乗ったことがありませんが、開業以降の増備車で戦前製の1200番代の車両は乗ったことがあります。
 1400番代辺りまでは、下二けたの番号は通し番号でした。

 この戦前製の1200番代、6両編成の渋谷か浅草寄りから2両目に連結されていて、その位置で待っていれば、そんな骨董品のような車両に乗れたものでした。乗った当時はモーターは外された、付随車として使用されていました。

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