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Channel: mitakeつれづれなる抄
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22年目の1.17

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 今日は1月17日。忌まわしい平成7年兵庫県南部地震から22年目です。この地震でもたらされた災害は「阪神・淡路大震災」。
 このブログでも、9回目の1.17。
 体調を崩して、もう5年神戸に行っていませんが、今年も1.17への想いを書いてみます。
 この時期は震災報道が多くなり、神戸市でも人口の3割以上は震災を知らない世代や、人になったり、市役所職員も震災以降に生まれた方の職員が多くなったという報道で、震災を語り繋いでいかねばなりません。

 1995年(平成7年)1月17日は、火曜日でした。当時は1月15日が成人の日。その年の1月15日は日曜日で、翌16日は振替休日で連休となり、連休明けのへ早朝に起きた大地震が、兵庫県南部地震。
 明石海峡付近を震源とする、M7.3の地震。
 この揺れは、一宮市の自宅でもしっかり揺れました。
 なぜか前日から寝付けないまま、17日の早朝、外で何かしら若者の騒ぐ声。
 すると間もなく、大きな揺れ。なかなか止まず、やがてゆっさゆっさとした周期の長い揺れに。
 明らかに遠い所での地震です。
 その時は、憂慮されている東南海トラフによる地震がとうとう発生したのかと思いました。
 直ちにテレビを点けたら、既に地震速報のニュース。この時点で5時48分。
 震源は関西地方とだけ分かり、やがてNHKの大阪放送局に切り替わり、明石海峡付近が震源地で、淡路島で震度6とのこと。
 震源の位置から神戸の状況が気になりました。なかなか情報が入らない。

 夜が明けて空撮の映像がテレビに映ることとなり、それはショックな光景でした。
 阪神電車が転がっています。
 御影電留線が崩壊して下へ転がったものです。
 その近くに知人が住んでいます。
 当然つながらない。

 やがて阪神高速が横倒しの光景。

 未曾有の大災害です。
 この時点では神戸の震度は入りませんでしたが、やがて震度6とのこと。
 この当時の震度は、気象庁職員の体感による判定でしたので、直ぐに震度判定が出されるのは6まででした。
 震度7は、後日の現地調査によるもので、暫くしてから震度7判定となりました。

 地震当日はとても現地へ行けず、2日後に西宮へ行ける所まで。
 2月に入り現地、東灘区まで行きました。
 芦屋から徒歩です。色々目にしました。
 東灘区の地理にはかなり詳しくなっていた頃でしたので、見慣れた街並みが一変、後背の山々がこんなに近かったのか、と思いました。
 摂津本山周辺のビル建物が軒並み崩壊して、暫くは駅で電車を待っていても、妙な感じがしたものです。

 直接知人関係で亡くなられた方はいませんでした。
 しかし、あそこの誰々さんが・・・、というのは多く耳にしました。

 4年前に体調を大きく崩してからは、追悼のつどいには参加出来ていません。
 3.11と並んで大きな地震災害。
 さらに私にとっては9.27の御嶽噴火災害。
 この瞬間を体感した者としては、後世に繋いでいかねばなりません。

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