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Channel: mitakeつれづれなる抄
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日本の崩壊は、人の心からかもしれない・人とのコミュニケーションを避ける人々

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 昨晩は、完全沈没で、今日の更新はこの時間になってしまいました。コメントの返信も遅れ、すみません。

 先週、あるラジオ番組を聞いていたら、話題のコーナーとして神戸新聞の読者投書からの話題で話を進められました。
 その投書内容というもの、「ある団地自治会で、不審者とされないように、お互いに声をかける挨拶はやらないでおきましょう」という申し合わせがなされたそうです。
 子供たちに声をかけると、直ちに不審者と間違えられる恐れがあり、その子供には、見知らぬ人から声をかけられたら、反応してはいけない(挨拶してはいけない)と学校から指導されているので、団地としてもお互いの挨拶は止めましょう、というもの。

 これ人(他人)との係わりを面倒がる人には、便利名申し合わせですが、そんな声をかける挨拶をしないのはどんなものだ、という投書内容です。


 実際にそうですね。私も一宮警察からの防犯メール配信登録をしていますが、事故や完全なる不審者が現れた、という内容は分かりますが、ただ「児童に声をかけられた」という内容の不審者メールは、ただ単に挨拶しただけのも入ってるのではないか?と思ったりします。

 この声をかけない、コミュニケーションを避ける、というのはいかにも当世風です。
 決して若い人だけではなく、老人もです。(「お年寄り」などと言う言葉を使いたくない。単なる「老人」。)
 5年前、栄のバスターミナルでズルズル音を立てながらキャリー付きのバッグを引きずる老女がいました。
 つまり、ひっくり返っていて、車輪が付いている方が上を向いていた次第。
 そこで「もしもし、ひっくり返ってるよ~」と声をかけたら、足早に逃げるように行ってしまいます。
 知らん顔で明らかに他人との関りを避ける人だったようです。どうみても還暦遥か越えの年齢だったのですが、他人との関りを避けるのは、若い人だけではない、の例。

 翻って、子ども。見知らぬ人とのコミュニケーション無しで育てば、どんな人に成長するのか、そら恐ろしい気がします。
 声を互いに掛け合うのは「言霊幸ふ(ことだまさきわう)」世の中に必要なもので、しかし余計な言葉は発しないような社会風潮。
 コンビニでも入店時に、店員が「いらっしゃい!」とこえがあっても「こんにちは」などの挨拶無しで入り、レジも黙って商品を出す。
 お店ののやり取りも、人様とのふれあいなんですが、余計な言葉を発しないに徹する人が多いです。

 あ、私は必ず返事をしています。
 病院の診察では、番号札のやり取りばかりで返事をする機会はありませんが、その後の調剤薬局では、薬を渡されるとき「○○さ~ん」で、必ず「ハ~イ」と返事しております。
 私の他に返事を返す人は少ないですね。


 もう少し大きく言うと、このコミュニケーションに拒絶する心の集合体(社会)がやがて民族の崩壊に至るのではないかと思ったりします。
 つまり日本が沈没するのは、巨大な地震や超大型の台風、或いは某国の核ミサイルで滅びるのではなく、人々の心の中から徐々に崩壊しやがてそれが日本国全体に及んでいくのではないか、と思っております。

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