JR各社の2016年3月26日ダイヤ改正の内容が発表されました。全国的な内容としては、北海道新幹線の新青森~新函館北斗間が開業ですが、個人的に気になるのが、大阪しなのの廃止です。
「大阪しなの」とは通称名で、特急「しなの」は、中央本線を名古屋~長野間で運行しているものですが、国鉄時代からの伝統で、一往復だけ大阪駅まで行くものがあります。これを通称「大阪しなの」と呼んでおり、長野行き名古屋発11:00、長野発14:04発名古屋17:01着の列車が大阪まで足を延ばします。
国鉄時代の急行列車で、名古屋発は「きそ」、大阪発は「ちくま」号があった当時から、急行「ちくま」に昼間の一往復が特急「しなの」に格上げされたもので、「しなの」の電車化以降、さらにJR化以降も伝統的列車として残されていました。
元々、関西地区と信州地区とはそれなりの結びつきがあり、この間の輸送列車が急行「ちくま」でした。
急行「ちくま」は夜行列車だけになり、その夜行列車の「ちくま」も少し前に廃止され、特急「しなの」一往復だけが現在にまで続いていましたが、結局、輸送の合理化から名古屋~大阪間の運転を止めることになってしまいました。
関西地区と、日本海沿岸地方とは、昔から樽前廻船(北前船)で結ばれた文化があり、その日本海沿岸と信州地方とは結びつきが深く、結果、関西地方と信州とは文化交流などの結びつきはありました。
一つ懐古話をしますと、国鉄時代の急行列車に大阪~新潟間の気動車の急行「越後」というのがありました。
この越後号の車両受け持ちは、なんと長野運転所担当。
どんな運用していたかというと、夜行の急行「ちくま」と共通運用でした。
つまり夜、長野運転所から出区し、急行「ちくま」で大阪へ行き、朝、折り返して、急行「越後」で新潟へ。新潟で一晩を過ごし、翌朝、急行「越後」で大阪着。折り返して夜行の急行「ちくま」で長野帰区。
長野出区から4日後の朝に長野へ帰るという、いかにも国鉄らしい壮大な車両運用でした。
あと、関西地区ローカルでは、新快速・快速・普通の運転パターンが微妙に変わるようで、今はもう乗ることが無くなりましたが、芦屋駅など新快速と普通が接続する部分では、乗り換えのタイミングが変わりそうです。
まだダイヤ改正の概要のみが発表されただけで、細かい時刻は、時刻表の3月号発売まではわかりません。
実際のところ、長距離列車は時刻が決定されましたが、普通列車(地域内列車)はまだ時刻が決定しておらず、時刻設定担当者は今、大変な時期です。
*** 余計な話しですが ***
大阪発のしなの号、なぜかよく遅れる列車で、東海道本線上り尾張一宮駅10:42発の列車は、岐阜駅で大阪発しなのを退避して発車しますので、大阪しなのの遅れを引きずって、よく遅れます。
この尾張一宮駅10:42上り快速列車については、以前弊ブログで、大阪しなのの存在のために、きっかり15分ごとのダイヤパターン乱しであると書きました。つまり当時の時刻では、岐阜駅退避ではなく、しなのの名古屋着より先に名古屋駅に到着させるように、15分間隔のパターンから数分繰り上げて尾張一宮駅を発車しておりました。こんな記事を書いております。
2009年5月26日記事:「忌まわしき尾張一宮駅10時43分発【ボヤキ】」
2010年3月2日記事:「忌まわしき尾張一宮駅10時43分発が解消!・ダイヤ改正で」
大阪しなのの廃止で、もうこのようなことは無くなりますが、肝心の私が、名古屋までの乗車ではJR東海に乗らず、今は専ら名鉄です。
それと、JR西日本車両によるJR東海大垣駅へ、一日三往復が乗り入れていますが、いずれも米原駅止めとなり、米原~大垣間は、別途列車が運転されることになりました。これも国鉄時代からの伝統で、国鉄時代は、名古屋鉄道管理局管内ながら、大垣駅以西は、大阪鉄道管理局の車両による運転される列車がありました。順次縮小されましたが、JR化の直前に夕方・夜間の上り大垣行きと、朝の下り大阪方面行きだけが残り、それが現在まで続いていました。
ダイヤ改正ごとに廃止(大垣直通)が噂されましたが、廃止されることなく現在まで続いたものの、結局来春に廃止となります。
この大垣直通、国鉄時代は車両需給上のことでしたが、それが現在までなぜ続いていたのか不思議です。
一説には、滋賀県となる柏原駅・近江長岡駅から彦根駅、或は大津駅へ直通する需要がある、ということですが、それが直通列車となるのがどうしても分かりませんです。
大垣直通廃止後は、米原~大垣間でJR東海車で運転されます。これは今でも、米原駅で列車番号の読み替えを行っており、米原~大垣間、車両はJR西日本車ですが、列車番号自体はJR東海です。
「大阪しなの」とは通称名で、特急「しなの」は、中央本線を名古屋~長野間で運行しているものですが、国鉄時代からの伝統で、一往復だけ大阪駅まで行くものがあります。これを通称「大阪しなの」と呼んでおり、長野行き名古屋発11:00、長野発14:04発名古屋17:01着の列車が大阪まで足を延ばします。
国鉄時代の急行列車で、名古屋発は「きそ」、大阪発は「ちくま」号があった当時から、急行「ちくま」に昼間の一往復が特急「しなの」に格上げされたもので、「しなの」の電車化以降、さらにJR化以降も伝統的列車として残されていました。
元々、関西地区と信州地区とはそれなりの結びつきがあり、この間の輸送列車が急行「ちくま」でした。
急行「ちくま」は夜行列車だけになり、その夜行列車の「ちくま」も少し前に廃止され、特急「しなの」一往復だけが現在にまで続いていましたが、結局、輸送の合理化から名古屋~大阪間の運転を止めることになってしまいました。
関西地区と、日本海沿岸地方とは、昔から樽前廻船(北前船)で結ばれた文化があり、その日本海沿岸と信州地方とは結びつきが深く、結果、関西地方と信州とは文化交流などの結びつきはありました。
一つ懐古話をしますと、国鉄時代の急行列車に大阪~新潟間の気動車の急行「越後」というのがありました。
この越後号の車両受け持ちは、なんと長野運転所担当。
どんな運用していたかというと、夜行の急行「ちくま」と共通運用でした。
つまり夜、長野運転所から出区し、急行「ちくま」で大阪へ行き、朝、折り返して、急行「越後」で新潟へ。新潟で一晩を過ごし、翌朝、急行「越後」で大阪着。折り返して夜行の急行「ちくま」で長野帰区。
長野出区から4日後の朝に長野へ帰るという、いかにも国鉄らしい壮大な車両運用でした。
あと、関西地区ローカルでは、新快速・快速・普通の運転パターンが微妙に変わるようで、今はもう乗ることが無くなりましたが、芦屋駅など新快速と普通が接続する部分では、乗り換えのタイミングが変わりそうです。
まだダイヤ改正の概要のみが発表されただけで、細かい時刻は、時刻表の3月号発売まではわかりません。
実際のところ、長距離列車は時刻が決定されましたが、普通列車(地域内列車)はまだ時刻が決定しておらず、時刻設定担当者は今、大変な時期です。
*** 余計な話しですが ***
大阪発のしなの号、なぜかよく遅れる列車で、東海道本線上り尾張一宮駅10:42発の列車は、岐阜駅で大阪発しなのを退避して発車しますので、大阪しなのの遅れを引きずって、よく遅れます。
この尾張一宮駅10:42上り快速列車については、以前弊ブログで、大阪しなのの存在のために、きっかり15分ごとのダイヤパターン乱しであると書きました。つまり当時の時刻では、岐阜駅退避ではなく、しなのの名古屋着より先に名古屋駅に到着させるように、15分間隔のパターンから数分繰り上げて尾張一宮駅を発車しておりました。こんな記事を書いております。
2009年5月26日記事:「忌まわしき尾張一宮駅10時43分発【ボヤキ】」
2010年3月2日記事:「忌まわしき尾張一宮駅10時43分発が解消!・ダイヤ改正で」
大阪しなのの廃止で、もうこのようなことは無くなりますが、肝心の私が、名古屋までの乗車ではJR東海に乗らず、今は専ら名鉄です。
それと、JR西日本車両によるJR東海大垣駅へ、一日三往復が乗り入れていますが、いずれも米原駅止めとなり、米原~大垣間は、別途列車が運転されることになりました。これも国鉄時代からの伝統で、国鉄時代は、名古屋鉄道管理局管内ながら、大垣駅以西は、大阪鉄道管理局の車両による運転される列車がありました。順次縮小されましたが、JR化の直前に夕方・夜間の上り大垣行きと、朝の下り大阪方面行きだけが残り、それが現在まで続いていました。
ダイヤ改正ごとに廃止(大垣直通)が噂されましたが、廃止されることなく現在まで続いたものの、結局来春に廃止となります。
この大垣直通、国鉄時代は車両需給上のことでしたが、それが現在までなぜ続いていたのか不思議です。
一説には、滋賀県となる柏原駅・近江長岡駅から彦根駅、或は大津駅へ直通する需要がある、ということですが、それが直通列車となるのがどうしても分かりませんです。
大垣直通廃止後は、米原~大垣間でJR東海車で運転されます。これは今でも、米原駅で列車番号の読み替えを行っており、米原~大垣間、車両はJR西日本車ですが、列車番号自体はJR東海です。