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Channel: mitakeつれづれなる抄
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横綱の猫だましはどんなものだろうか

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 今日は相撲界で大きなニュースがありました。日本相撲協会の北の湖理事長が亡くなられたと。明日の新聞各紙に大きく載ることだろうと思いますが、一人の相撲ファンとして、哀悼の意を表します。
 今日のブログ、は大相撲関連を書こうと思い、文章を考えていたところへ、この大きなニュースでした。

 先日11月17日、大相撲十一月場所(九州場所)の十日目、横綱白鵬と栃煌山の一番で、立ち合いの瞬間、白鵬が猫だましをやりました。
 この様子はTV中継では見ていませんでしたが、7時のニュースで見ました。立ち合い手を着いた瞬間、両の手をパチン。
 そして一旦離れたところで、再度まわしを取るところで、再度両の手でパチン。
 勝敗が決まって、勝ち名乗りを受ける前の白鵬のにやけた顔。

 正直、不愉快でした。

 猫だましは、かつて舞の海が苦し紛れにやったのを見たことありますが、あくまで下位力士がなんとか勝機をつかもうとする奇襲作戦なのですが、立ち合いで両手を合わせることから、脇が甘くなり、相手が動じなければ、あっさりまわしを引かれてしまいます。
 この猫だましを、あろうことか横綱がやるものですから、品格としてどんなものですかねぇ。
 今日、亡くなられた北の湖理事長を苦言を呈しておられました。

 この横綱の猫だまし、私のような批判に対して、案外とこの批判は的を射ない、つまり白鵬擁護の意見があるのは驚きです。
 つまり、相撲協会の規定に横綱は猫だましをやっていはいけない、という決まりはどこにも書いていない。
 それならば、横綱が猫だましをやってもいいだろう。いけないのなら、規定に書いておくべき、というような論調。
 ネットの世界や、翌日のCBCラジオ「つボイノリオの聞けば聞くほど」に寄せられたメールも、白鵬擁護の意見が多いのは少々意外でした。

 世の中、何が何でも明文化するのが分かりいいですが、明文化されていない、代々受け継がれた精神論というのもあると思います。
 そのような明文化されていない事を守り継ぐのも一つの「粋」です。
 相撲界はある意味、この粋で成り立っているような社会。
 この粋が無くなると、無粋です。

 横綱たるものは、姑息な手段で勝ちを狙ってはいけない。
 相手の出足を、しっかり受けるぐらいでないとけない、そういうものだと考えます。

 明文化されていないといえば、鉄道の話を出しますが、現在の鉄道の法律である「鉄道事業法」には、元は民営鉄道の法律である、「地方鉄道法」にあった、動力について規定がありません。
 すなわち、旧地方鉄道法では、動力として、電気・蒸気・内燃の機械力に限定し、人・馬などの動物力は禁止されています。
 この動力制限の規定が、鉄道事業法と関連の法律にはありません。
 ならば今は、馬力など動物力の鉄道があってもいいのか、と言えば、高速大量輸送を旨とする鉄道には、動物力では妥当では無いので、そもそもこんな規定がおかれなかったものと考えます。

 横綱の猫だましがいけない、という規定がないからやってもいいだろう、という考えもありますが、横綱はそもそも猫だましをやるものではない、という目に見えぬ文化だと考えます。


 で、北の湖理事長ですが、帰宅した際にあれやこれややって、PCの電源を入れますが、このPCのブラウザはMSNが最初のページです。
 そのMSNに北の湖理事長緊急搬送とあり、ビックリして記事を読みました。
 その後、NHKで亡くなられたとの速報。
 場所中で、現役の理事長。明日の十四日目、明後日の千秋楽はいつも通り開催されましょうが、華やいだ本場所の雰囲気は無くなってしまいます。

 相撲を見始めた頃の横綱は、一方が北の湖、もう一方が輪島の時代。ちなみに大関は貴ノ花と旭国。
 北の湖はそれは憎たらしいぐらい強かったです。
 組んでよし、張ってよし、押してよし、のオールマイティな取り口。
 押し出して相手が土俵下に落ちても、手を差し伸べなかったのが、憎たらしいと感じるところでした。

 後に、これも北の湖のお考えだったそうで、相撲は勝負である哲学なのだそうです。あ、これは私の解釈の言葉ですが。

 大相撲の一時代を築いた横綱、そして一代年寄の北の海。相撲好きとして哀悼の意を表します。

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