最近、といっても何年か前のスパンになりますが、名鉄線(名古屋本線ですが)に乗ると、踏切手前の架線柱に番号数字が記されているのに気づきました。
脳出血による入院の後、退院してからというもの、名古屋へ行くときは必ず名鉄に乗るようにし、さらに「始発でゆったり」と一宮始発の急行なので、ほぼ必ず先頭車の先頭の席に腰掛け、前を見る機会が増えて、気付いたのかもしれません。
その踏切手前の架線柱に貼られた数字は、踏切番号です。名鉄の踏切管理は、JR各社のような固有名ではなく、起点側に近い駅から数えて、「〇〇何号」踏切という称し方をしています。
その「何号」という数字が架線柱に記されているわけで、それを見ていくと、必ずしも連続で並んでいるわけではなく、飛び飛び番になっています。飛んでるのは、廃止された踏切で、そのまま空番にしてあります。
そんな中、国府宮駅のすぐ北にある踏切が、国府宮2号踏切であるとのことです。
位置的には、国府宮駅の岐阜方分岐器のすぐ先の市道踏切。
この踏切が「2号」ということは、国府宮駅ホームとの間のどこかに1号踏切があったわけで、随分不思議なところに踏切がかつてはあったわけです。
その国府宮2号踏切。名古屋を向いた列車で。Youtubeの動画キャプチャ。
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踏切すぐ手前の架線柱に「2」という数字が見えます。
この踏切のすぐ先にポイントが見えますが、その付近のどこかに踏切があったわけです。
なんとも不思議な場所に踏切があったものだと思いますが、国土地理院で公開している、電子国土webの過去の空中写真で確かめてみました。
撮影年代は、1961~1964年代のものですが、踏切があるように見えます。
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上の画像の「+」の記号の右に、踏切道が通っているように見えます。
たしかにホームとポイントの間、線路が四本の部分に踏切がありました。
それとこの画像では、岐阜方向の待避線の隣に、もう一本ホームの無い線路があったのですね。
岐阜行きの列車からの画像。
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この場所にかつては踏切があったわけです。
つづいて、西枇杷島駅すぐのところの東枇杷島5号と4号。
同じくYoutubeの動画キャプチャから。
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踏切が連続していますが、順に西枇杷島構内踏切と、旧国道22号線立体交差の側道踏切が二つ。
構内踏切は踏切番号からは除外されていますので、二つの旧国道側道踏切が東枇杷島3号と東枇杷島4号です。
庄内川橋堤防道路、犬山線分岐部分にある道路踏切が東枇杷島2号なので、この間のどこかに東枇杷島3号踏切があったわけです。
そこで電子国土web。同じく1961~1964年代の画像から。
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画像左上の「+」の記号真上に、踏切があるように見えます。
この位置を岐阜方向列車から見た画像ではこんな感じ。
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おそらくこの架線柱の枠になっている部分に踏切があったようです。
踏切道を左から右へ渡った所は、今はメイエレックの社屋が建っています。
犬山線分岐部分の踏切は、東枇杷島2号。豊橋行き列車から
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岐阜行き列車から。
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ちなみに、東枇杷島1号踏切は、庄内川左岸堤防、つまりこの写真の反対側の堤防にありました。
左岸堤防道路は名鉄線の部分はアンダーパスで、踏切は歩行者専用だけのものだったので、しかも警報機などが無い4種踏切だったので、廃止されました。踏切があったのを覚えています。
踏切番号から見る不思議でもう一つ。
名古屋本線の岐南駅すぐ岐阜寄りの踏切は「0号」踏切です。岐南0号ですが、0号とはなんとも不思議な番号。
岐阜行き列車から。
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豊橋行き列車から。
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理由を推定すると、岐南駅は境川駅の移転によるもの。境川駅は現在の岐南駅の300mほど北にあったもので、今の岐南0号踏切は、かつては「笠松何号」と称されていたと思います。
旧境川駅以北の踏切番号を修正せずに1号の前の番号で、この踏切を岐南0号と直したものだろうと推定されます。
脳出血による入院の後、退院してからというもの、名古屋へ行くときは必ず名鉄に乗るようにし、さらに「始発でゆったり」と一宮始発の急行なので、ほぼ必ず先頭車の先頭の席に腰掛け、前を見る機会が増えて、気付いたのかもしれません。
その踏切手前の架線柱に貼られた数字は、踏切番号です。名鉄の踏切管理は、JR各社のような固有名ではなく、起点側に近い駅から数えて、「〇〇何号」踏切という称し方をしています。
その「何号」という数字が架線柱に記されているわけで、それを見ていくと、必ずしも連続で並んでいるわけではなく、飛び飛び番になっています。飛んでるのは、廃止された踏切で、そのまま空番にしてあります。
そんな中、国府宮駅のすぐ北にある踏切が、国府宮2号踏切であるとのことです。
位置的には、国府宮駅の岐阜方分岐器のすぐ先の市道踏切。
この踏切が「2号」ということは、国府宮駅ホームとの間のどこかに1号踏切があったわけで、随分不思議なところに踏切がかつてはあったわけです。
その国府宮2号踏切。名古屋を向いた列車で。Youtubeの動画キャプチャ。

踏切すぐ手前の架線柱に「2」という数字が見えます。
この踏切のすぐ先にポイントが見えますが、その付近のどこかに踏切があったわけです。
なんとも不思議な場所に踏切があったものだと思いますが、国土地理院で公開している、電子国土webの過去の空中写真で確かめてみました。
撮影年代は、1961~1964年代のものですが、踏切があるように見えます。

上の画像の「+」の記号の右に、踏切道が通っているように見えます。
たしかにホームとポイントの間、線路が四本の部分に踏切がありました。
それとこの画像では、岐阜方向の待避線の隣に、もう一本ホームの無い線路があったのですね。
岐阜行きの列車からの画像。

この場所にかつては踏切があったわけです。
つづいて、西枇杷島駅すぐのところの東枇杷島5号と4号。
同じくYoutubeの動画キャプチャから。

踏切が連続していますが、順に西枇杷島構内踏切と、旧国道22号線立体交差の側道踏切が二つ。
構内踏切は踏切番号からは除外されていますので、二つの旧国道側道踏切が東枇杷島3号と東枇杷島4号です。
庄内川橋堤防道路、犬山線分岐部分にある道路踏切が東枇杷島2号なので、この間のどこかに東枇杷島3号踏切があったわけです。
そこで電子国土web。同じく1961~1964年代の画像から。

画像左上の「+」の記号真上に、踏切があるように見えます。
この位置を岐阜方向列車から見た画像ではこんな感じ。

おそらくこの架線柱の枠になっている部分に踏切があったようです。
踏切道を左から右へ渡った所は、今はメイエレックの社屋が建っています。
犬山線分岐部分の踏切は、東枇杷島2号。豊橋行き列車から

岐阜行き列車から。

ちなみに、東枇杷島1号踏切は、庄内川左岸堤防、つまりこの写真の反対側の堤防にありました。
左岸堤防道路は名鉄線の部分はアンダーパスで、踏切は歩行者専用だけのものだったので、しかも警報機などが無い4種踏切だったので、廃止されました。踏切があったのを覚えています。
踏切番号から見る不思議でもう一つ。
名古屋本線の岐南駅すぐ岐阜寄りの踏切は「0号」踏切です。岐南0号ですが、0号とはなんとも不思議な番号。
岐阜行き列車から。

豊橋行き列車から。

理由を推定すると、岐南駅は境川駅の移転によるもの。境川駅は現在の岐南駅の300mほど北にあったもので、今の岐南0号踏切は、かつては「笠松何号」と称されていたと思います。
旧境川駅以北の踏切番号を修正せずに1号の前の番号で、この踏切を岐南0号と直したものだろうと推定されます。