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餘部鉄橋列車転落事故から30年

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 神戸新聞web版記事からです。昨日12月28日は、兵庫県の山陰本線餘部鉄橋から、強風にあおられて客車が転落して、下の民家やカニ加工工場を押しつぶし、多数の死傷者がでた「餘部鉄橋列車転落事故」から30年でした。
記事:余部鉄橋列車転落事故から30年 遺族らが献花

 この事故は、大変よく覚えています。年末、まさに1986年(昭和61年)の暮れも暮れ、押し迫った時に発生した悲劇。
 転落した客車も、当時国鉄大阪鉄道管理局がこの年に完成させた和風客車「みやび」で、関西の方がお好きなカニカニツアーで、香住駅でお客さんを降ろして浜坂駅まで回送中の事故。
 日本海に開き、三方が山の陸の孤島のような餘部。
 海岸沿いに線路を通すと、山沿いの高い所に敷設することになるため、餘部は両側が山の間を高さ41mの橋梁で抜けるもの。
 冬の日本海側、もろに季節風があたる地形。当時は風が強いものの、列車運転抑止手配は取られておらず、瞬間的な突風によるもので、客車部分が浮き上がり、脱線して、そのまま線路外へ。つまり下へ落下です。
 民家とカニ加工工場を押しつぶし、回送列車車掌と、カニ加工工場のパートのおばちゃん数人が亡くなりました。

 原因は突風ですが、橋梁構造にも問題があり、古い鋼製桁で、いわゆる無道床のタイプで、風がレール間でもどんどん吹き抜ける構造。
 そのため、軌道面(つまり橋梁)したから吹き上がった風の力で、軽い客車が浮き上がり、そのまま線路外で押し出して転落に至ったものです。
 機関車は重量があり転落を免れました。後ろの客車7両が無くなったことで、連結器とブレーキ管が切れ、自動ブレーキがかかり機関車も停止しました。
 しかし連結器でつながっているはずですが、機関車はよくレールの上に載っていたと思います。

 ちなみに、この転落した和風客車「みやび」は、この年の夏前に完成した車両。新製ではなく改造車ですが。
 翌年、昭和62年度の鉄道友の会のブルーリボン賞の対象となるべき車両でしたが、車両自体が存在せず、候補車両としてノミネートからは除外されましたが、車両の画像は紹介する、異例の措置となりました。

 年末に降って涌いた大変悲しい事故でしたので、とても覚えております。

 餘部鉄橋は、後に架け替えられ、現在はコンクリート構造の鉄橋となり、有道床式になっています。
 グーグルストリートビューで、旧橋の橋脚の一部が残されているのが分かります。

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