長野県の諏訪湖近くの諏訪大社では、現在、社殿造営のための用材を運び出す「御柱祭」というのが行われています。
諏訪大社は、上社と下社の二社。それぞれに社殿があり、その建て替えで、必要な材木を伐り出しの地から、社殿建立の場所まで運び出す神事です。
現代流にいえば、「用材の搬送」ですが、昔のこととて、巨大な材木を所定の場所まで運ぶのは、一国を上げる一大行事で、それ自体が神事となるものです。
材木の伐り出しの場から社殿建立の場所までは、山あり川ありで、大変です。
その一つに、山を降ろすところでは、材木の重力で斜面を下ることになりますが、その勇壮で少々(かなり)危ないところが後々に大きな行事となり、マスコミの注目するところとなりました。
昨日、 その御柱祭で、斜面を下るところで、材木に乗った氏子が転落し死亡する、ということがあったそうです。
MSN記事:御柱てっぺんから転落、男性が死亡 長野・御柱祭
この斜面を下るところでは、氏子が大勢、材木の上に跨って乗り、乗ったまま斜面を下る、ということが行われています。
何トンもある材木、それが斜面を下るわけで、危ない。
しかし、その怖さを乗り越えて、勇気を示す、というところだそうです。
映像で見るだけしか無いのですが、材木に乗っていれば、当然振るい落されます。
落とされれば、場合によっては上を材木が通ったり、落ちた衝撃で何かに当たったりして、亡くなることもあり得ます。
実際に昨日、それがありました。
よそ者が何を言う!とも言われましょうけど、毎度思うのですが、なぜこんな危険な神事を続けるのだろう。
平安時代から既に始まっていたようですが、当時のことですので、用材を里の御社まで運ぶのは一大事業で、それ自体が神がかりな行事。
狂言に「三本の柱」という題の曲がありますが、建物建立のためには材木を運んだりして人々の協力で成し遂げられる、祝言性の高い曲で、御柱祭につながるような同じ文化性を感じます。
ただ山の斜面を下るところ、人が乗って下るのは、昔からこんな形ではなかったそうです。
ここ半世紀のうちに始まったらしい、ということだそうで、昭和30年代の御柱祭の写真では、斜面を降ろすところでは人は乗っていないそうです。
その後に何らかの理由で人が乗るようになったのでしょうね。
社殿造営のための用材。それを守る。斜面をさがるところは危険。しかしそれを乗り越えてでも男の意気を示す・・・。というところではないかと思います。
時々、伝統的な神事で事故が起こり、けが人や死亡者が出ることがあります。
しかし、けが人や死亡者があっても「伝統を守る!」という変な思想も有ったりします。
神はそんなけが人や死亡者が出ることは望んでいません。
伝統神事も、時代に合わせて少しずつ変化しなければなりません。
一から十まで昔のままの姿は、一見伝統的のようで、その実、なんの進歩が無いのかもしれません。
神から与えられた我々の知恵、けが人が出ないよう、ましてや亡くなる人が出ないよう、工夫して、神事を行わねばなりません。
そうして伝統的神事を実施してこそ、伝統を守ることになります。
*** お詫び・訂正追記 ***
御柱祭、死亡者が出た神事は、里の上社で柱を建てる「建て御柱」での出来事でした。
柱となる材木を山の斜面を下る「木落とし」ではありませんでした。
MSN記事の文章をよく読んでいませんでした。
でも、記事の本意は同じですので、事実関係の訂正とさせてください。
諏訪大社は、上社と下社の二社。それぞれに社殿があり、その建て替えで、必要な材木を伐り出しの地から、社殿建立の場所まで運び出す神事です。
現代流にいえば、「用材の搬送」ですが、昔のこととて、巨大な材木を所定の場所まで運ぶのは、一国を上げる一大行事で、それ自体が神事となるものです。
材木の伐り出しの場から社殿建立の場所までは、山あり川ありで、大変です。
その一つに、山を降ろすところでは、材木の重力で斜面を下ることになりますが、その勇壮で少々(かなり)危ないところが後々に大きな行事となり、マスコミの注目するところとなりました。
昨日、 その御柱祭で、斜面を下るところで、材木に乗った氏子が転落し死亡する、ということがあったそうです。
MSN記事:御柱てっぺんから転落、男性が死亡 長野・御柱祭
この斜面を下るところでは、氏子が大勢、材木の上に跨って乗り、乗ったまま斜面を下る、ということが行われています。
何トンもある材木、それが斜面を下るわけで、危ない。
しかし、その怖さを乗り越えて、勇気を示す、というところだそうです。
映像で見るだけしか無いのですが、材木に乗っていれば、当然振るい落されます。
落とされれば、場合によっては上を材木が通ったり、落ちた衝撃で何かに当たったりして、亡くなることもあり得ます。
実際に昨日、それがありました。
よそ者が何を言う!とも言われましょうけど、毎度思うのですが、なぜこんな危険な神事を続けるのだろう。
平安時代から既に始まっていたようですが、当時のことですので、用材を里の御社まで運ぶのは一大事業で、それ自体が神がかりな行事。
狂言に「三本の柱」という題の曲がありますが、建物建立のためには材木を運んだりして人々の協力で成し遂げられる、祝言性の高い曲で、御柱祭につながるような同じ文化性を感じます。
ただ山の斜面を下るところ、人が乗って下るのは、昔からこんな形ではなかったそうです。
ここ半世紀のうちに始まったらしい、ということだそうで、昭和30年代の御柱祭の写真では、斜面を降ろすところでは人は乗っていないそうです。
その後に何らかの理由で人が乗るようになったのでしょうね。
社殿造営のための用材。それを守る。斜面をさがるところは危険。しかしそれを乗り越えてでも男の意気を示す・・・。というところではないかと思います。
時々、伝統的な神事で事故が起こり、けが人や死亡者が出ることがあります。
しかし、けが人や死亡者があっても「伝統を守る!」という変な思想も有ったりします。
神はそんなけが人や死亡者が出ることは望んでいません。
伝統神事も、時代に合わせて少しずつ変化しなければなりません。
一から十まで昔のままの姿は、一見伝統的のようで、その実、なんの進歩が無いのかもしれません。
神から与えられた我々の知恵、けが人が出ないよう、ましてや亡くなる人が出ないよう、工夫して、神事を行わねばなりません。
そうして伝統的神事を実施してこそ、伝統を守ることになります。
*** お詫び・訂正追記 ***
御柱祭、死亡者が出た神事は、里の上社で柱を建てる「建て御柱」での出来事でした。
柱となる材木を山の斜面を下る「木落とし」ではありませんでした。
MSN記事の文章をよく読んでいませんでした。
でも、記事の本意は同じですので、事実関係の訂正とさせてください。