京都新聞web版記事からです。京都府の長岡京市に、京都第二外環状道路と続く京都縦貫道に高速バス停留所「高速長岡京」を設置し、阪急京都線に西山天皇山駅を設置して、高速バスから阪急に乗り換えがしやすい構造にしたところ、お客はそのまま大阪や京都に流れて、地元の長岡京市への振興につながっていないとのことです。
記事:高速バスと鉄道連絡、通過点どう脱却 京都・長岡京
これ本当に、長岡京市としては、地域の振興につなげたいという意識があったのでしょうか。
だとすると、お門違いもいいところです。
江戸時代の物流拠点では、港町など物資の積み替えや船客の待合などで発展してきた歴史がありますが、現代の交通では、利便性が物を言いますので、移動に時間がかかることは敬遠されます。
乗り換え容易、ということはお客さんに頗る便利で、乗り換えのために駅前へ出る必要性が無くなります。
江戸時代の例を持ち出すまでも無く、昭和30年代でもバス路線開設で、バス停が出来ると、自然発生的にバス停周りに小商いの店が出来たものです、しかし今はそんなことはありません。
長岡京市は、旧長岡京の遺跡は数少ないですが、光明寺や西山公園、旧海印寺の旧跡など、元からあるこうしたところをPRするのが第一だと考えます。
現代では、乗り換えだけでは、街は発展しません。
西山天王山駅と高速長岡京の位置。
近鉄の伊勢中川駅前、かの昔は名阪特急はここで乗り換えでした。
ホームの反対側に乗り換え列車がいる構造なので、お客は駅の外へ出る必要が無く、駅前はビックリするほどひっそりしています。
乗り換えが便利過ぎると、街の発展にはつながらない、というお話。
記事:高速バスと鉄道連絡、通過点どう脱却 京都・長岡京
これ本当に、長岡京市としては、地域の振興につなげたいという意識があったのでしょうか。
だとすると、お門違いもいいところです。
江戸時代の物流拠点では、港町など物資の積み替えや船客の待合などで発展してきた歴史がありますが、現代の交通では、利便性が物を言いますので、移動に時間がかかることは敬遠されます。
乗り換え容易、ということはお客さんに頗る便利で、乗り換えのために駅前へ出る必要性が無くなります。
江戸時代の例を持ち出すまでも無く、昭和30年代でもバス路線開設で、バス停が出来ると、自然発生的にバス停周りに小商いの店が出来たものです、しかし今はそんなことはありません。
長岡京市は、旧長岡京の遺跡は数少ないですが、光明寺や西山公園、旧海印寺の旧跡など、元からあるこうしたところをPRするのが第一だと考えます。
現代では、乗り換えだけでは、街は発展しません。
西山天王山駅と高速長岡京の位置。
近鉄の伊勢中川駅前、かの昔は名阪特急はここで乗り換えでした。
ホームの反対側に乗り換え列車がいる構造なので、お客は駅の外へ出る必要が無く、駅前はビックリするほどひっそりしています。
乗り換えが便利過ぎると、街の発展にはつながらない、というお話。